公平な立場で書かれた日韓問題に関する書物
★★★★☆
日韓の抱える歴史問題について、韓国側が持つ
問題として、日本に対する複雑感情があるという
意見に終始しているのが特徴。その意見自体は
別段、目新しくないが様々な実例を挙げている事が
有意義であると思う。中には日本ではあまり
知られていない例もあり、その点はソウルで実際に
仕事をしていた地の利を活かしたと言える。
筆者の黒田氏は長年、産経新聞ソウル支局長を
勤めただけあり、勤めて日韓問題を公平な立場で
説明しようとしている点に好感が持てた。故に
嫌韓、媚韓のイデオロギーに染まった方には、
韓国の反日運動には批判的でありながら、他国に
併合された事には同情的であるという黒田氏の
立場は理解しにくいかもしれない。
ために実は本書は対象となる読者層が非常に狭い
本であるように思う。
では、どういう読者層が読むべきか。という
点について、私個人の意見としてマンガ嫌韓流を
卒業したい人向けであるように思う。
政治の為の歴史、学問の為の歴史、願望の為の歴史
★★★★★
韓国発のニュースでは、はしばしば「歴史の立て直し」といった文言がみられます。
我々日本人にとって歴史は「既に在ったこと」であり、その出来事から何かを学びとることはあっても、それらを「立て直す」といった発想はなかなか理解しづらいものであるでしょう。
ならばなぜ隣国で「歴史の立て直し」が一定の支持を得られているのか。
彼らにとって「こうあるべき、こうであってほしい」との歴史はなぜ重要なのか。
これらを同国に対する深い愛着をもった筆者が鋭い考察をもって分析した一冊です。
韓国を好きな人にとっても嫌いな人にとっても、理解が深まる良書です。
現代韓国とその対日政策の全体像追求の出発点として
★★★★☆
延世大学留学、共同通信ソウル支局長、産経新聞ソウル支局長(一九八九年−)を通算して二十七年間韓国に滞在する著者(出版時十七年間)が、現代韓国とその対日外交の全体像を追究する上で不可欠な情報と観点を提供してくれます。従軍慰安婦問題、継続対日謝罪要求、「光復五十周年」反日政策(一九九五年)についての解説から印象的なのは、政府が主導しマスコミと大衆まで一体となった韓国の対日戦略的圧力と、一方国体に一体感欠き外交的防戦に明け暮れる日本という両国関係の図式。外交政策主導の対日「抵抗史観」に対し、正当に批判的に相対する能わず「贖罪史観」に囚われた日本。日帝支配より最近の朝鮮(韓国)動乱(一九五〇年)を指導し今日まで続く南北分断の原因をつくったロシア(当時はソ連、一九九〇年国交回復)や、中国(同一九九二年)に対し韓国外交が示す異なる態度や、「日帝風水謀略」断罪キャンペーンに象徴される安易な反日政策と、客観的視点の芽を潰すマスコミの感情的「妄言」批判体質の指摘に説得力。また日韓誤解の淵源を両国の同質性と異質性の混在に見出す分析にも含蓄。ただ意図的にか否か(望むらくは前者)、本書は韓国人の「強烈なナショナリズム」による歴史観に焦点。正当な各自の国益追求の共通分母上に現代日韓関係史の全体像を追求する過程は必要不可欠で有意義。ただ、多数の韓国人と親交しその文化に精通する著者は、本来、本書に晒された詭弁的とも滑稽ともいえる同国の諸政策を真顔で支持・説明する韓国国民固有の人間の心や情に根ざす本質的価値観を熟知のはず。更に一歩進んで、一九六五年国交正常化の請求権協定における以後の補償請求放棄を踏まえつつも慰安婦問題で道徳的観点を掲げ、ナチスのユダヤ人迫害を謝罪する独の“衷心から”の姿勢を引用する韓国人アイデンティティを彼らを理解する立場から説明してこそ、日韓の相互理解促進の基盤になると思います。
韓国に5年半住んでいる私も納得!!
★★★★★
サンケイ新聞ソウル支局長の黒田さんの書かれた本。長年韓国ウオッチャーをされていただけあって、ここに書かれていることはソウルに住んでの私の実感に照らして尤もだと思えることが多い。
黒田さんは、書かれた記事に関して「妄言」だと韓国の言論界から言われたことが何度もあるだろう。この本を読んで改めて肝に銘じなければならないと思ったことは、「日本は韓国に対して悪いこともたくさんしたが、よいこともした」という至極当然の真実を具体的な例証もして主張したとしても、この種の発言は即座に「妄言」として退けられ反日運動のきっかけに使われるだけで、韓国側は科学的、論理的な態度で事の当否を検証しようとはしないということだ。感情的な反発とそして何度繰り返してもやまない謝罪を再度求められるだけ。
それなのに日本の大臣や政治家、そして最近は空爆長迄この種のことを言いたがる。いくら言ってもまともな反応はなく、ただ騒動を醸成すること、日本という国がまたぞろ責められるだけの結果に終わることは火を見るより明らかで、実際に発言する前からわかっているはず。だから「ひょっとしてこの人は今の自分の地位を擲ちたいので確信犯として言っているのではないか」と訝ってしまう。
田母神元空爆長の論文もそう。私は昔は自虐史観に染まりきっていたけど、金完ソップ「親日派のための弁明」や今回の騒動で名前のでたアパGの元谷外志雄「報道されない近現代史」や今回の黒田さんの本を読んで、これらに書いてあることの方が納得性が高いと感じているくらいなので、田母神さんの論文を読んでみたが至極当たり前のことが書いてあると感じた。しかし個人の信条はどうあれ、あの立場でああいう論文を公にしたらどうなるかはわかっていたはず。邪推をするなら、もうすぐ定年だからその前にわざと騒動を起こして名前を売って、定年後は評論家、言論人として身を立てようという計算があるのかもしれない。
話が逸れたが、こういう話になるのは韓国が自力で近代を開くことができなかった不幸が原因である、という旨がこの本に書いてある。国民が一つになるための共通に立ち向かう敵が必要なのだ。
しかし、異質性もあるが同質性も強くある日本をあえてそういう立場に置かざるを得ない韓国という国の歴史と現状はもの哀しい。
この本の第十章のこのくだりには黒田さんの韓国への深い愛情を感じる。
「日本と韓国の過去史とは、それこそ双方にとって文字どおり血の出るような歴史だった。近代日本は朝鮮半島に心血を注いで進出し経営にあたった。ロシア・ソ連の脅威を背景に民族と国家の命運がかかっていたからだ。これを侵略とする韓国もまた、民族と国家の命運をかけ心血を注いで相対した。それは時には日本利用や日本協力になって表れ、さらに日本への激しい抵抗となって表れた。その「抵抗」に込められた韓国の民族としての魂は、われわれも理解しなければならない。
日韓の過去史はこれまでもっぱら韓国側では抵抗史観、日本側では贖罪史観で語られてきた。とくに日本側では『被害者の立場に立つ』という戦後的自虐史観によって、韓国側の見方に身を寄せることが正しいとされてきた。しかし歴史の真実は『被害者』という一方的な立場からだけでは見えない、あるいは見たくない部分も含めてこそ明らかになるものだろう。」(P.227)
全く同感。臭いものにふたをする、自分の都合のためあったこともなかったかのよう歴史を再構成する、見たくないものは見ない、それでは過去への反省をも込めて未来を構想することはできない。いつまでも、その見えない、見ていない、なかったはずの過去に縛られて身動きがとれないのだ。
各種反日活動の説明書
★★★★★
日帝風水謀略説、天皇を日王と呼ぶ、生活から日本の残痕を消す運動、謝罪要求・・・・・これら韓国の各種反日活動については韓国について調べているとすぐに出てくる。しかし、なぜ韓国人がこのようなことをするのかが分からない人も多いはずである。
本著にはこれら各種反日活動が起こる原因を韓国人の歴史観を通して分析している。
韓国ウォッチャー初心者にはぜひとも読んでほしい