ご自身を救う理論として否定することは誰にもできないが、他人に応用するとなるとあまりにも牽強付会だろう
★★☆☆☆
ご自身を救う理論として岸田さんの精神分析を否定することは誰にもできないが、
他人に応用するとなるとあまりにも牽強付会だろう。
ご自身の神経症が『気付かなかった母との対立と葛藤であり』
それに気が付いた時に治癒したというのだが、
この自己分析は、ご自身にとってだけ、有用であるといわざるを得ない。
ご自身で付けたタイトルのとおり、これは「物語」であり、特殊な事情の
「私小説」として読むべきである。
わかりやすくて、いろいろと腑に落ちる
★★★★☆
岸田秀の本は、わかりやすいのでベッドに寝っ転がりながら読んだものである。しかし、そのうちにいろいろと考えさせられて、起き上がったりもした。
この本では、著者のわかりやすさへのこだわりも語られる。それは、自分が興行師の育ちだからかもしれないというが、そもそも、精神分析自体が常識的な人間理解をいくらか深めて体系化したものなのだという。それはすでに諺などでも言及されているとして、多数の語句が挙げられている。例えば「下司の勘ぐり」は「投影」を示しており、それに気付けば自分の無意識を見いだすこともできるのだという。なるほどと思わされる。
逆に、その精神分析をわざわざマルクス主義、構造主義や言語学などの別の枠組みに入れたり、独自の用語に特別な意味をつけて難しくしている人々のことを批判する。ある人物については、安っぽく見られないために、男にコストを掛けさせる女性に例えている。それは少し言い過ぎか。学者の世界などにいて、オリジナルな業績をあげなくてならなかったという人もいるであろう、一般の読者には関係のないことであるが。
この本でも、著者のわかりやすい語り口は発揮されている。『物語』は、母親との関係が出発点であり、その部分が丁寧に語られる。幸せな親子関係であった人は、このような話に関心を持たないだろうというのだが、そこから生み出された『唯幻論』が、意外な説得力を持っていておもしろく感じた人は、それが生み出された過程にも興味を持つと思う。私自身は、初めて書き下ろしたというこの本を読んで、いくつかのことが一段と腑に落ちた。ただし、史的唯幻論の部分については、まだもやもやする。
精神分析は常識的な人間理解を深めたものだというが、この本を書くきっかけをつくった小谷野氏は、浅い常識の範囲で岸田氏のことを語ってしまったということになるのか。反論されるのなら読んでみたいと思う。
神経症
★★★★★
岸田氏は、まず最初に、自分が「母親は無条件の愛を持つべきである」という規範には囚われていないことを述べている。そして親の利己的な動機が子供を神経症にするのではなく、利己的な面を隠すことが子供を神経症にすると述べている。巷にあふれる、単に母親の愛情不足を攻撃するような内容の本ではない。親の愛情を感じるが、何か息苦しいと思っている人は一度読んでみる価値がある。愛情だと思い込んでいるものの正体が見えてくる。
岸田氏は経済的には、ある程度恵まれていたのかもしれないが、精神的には恵まれていなかったであろう。日本が世界有数の経済大国であるにもかかわらず、精神を病んでいる人や自殺者の多さを考えると、精神的に恵まれることの重要性がよくわかる。
無条件の愛
★☆☆☆☆
母親の愛とは、無条件の愛情であり、絶対的なものであると、著者はすっかり信じているようだ。自分はそうした人間関係の基本となる愛情を知ることができなかった、という負い目を感じて生きているように思う。それが執拗な母親への攻撃なのだろう。母親への恨みつらみをだいぶ著書のなかで展開していて、読者として付き合うのにも骨が折れた。
さて、彼の家庭環境とその境遇は、むしろ恵まれたものであったと、周囲の人には感じられえるのではないだろうか。相互に扶養義務を期待する親子関係は当時は健全だったのだろう。現在は、あまりにも、親の愛情というものが世の中で当然視されすぎているのです。
探偵会社の人材
★★★★★
岸田さんの友人の探偵会社を経営している人の話が面白かった。探偵として有能な人材を雇うと、秘密の漏洩、寝返りなど困ったこともする。そういうことをしない正直な人を雇うと、探偵としては無能。我が社でも当てはまりそうな。。。