西洋史の部分はいいのですが…
★★☆☆☆
こういう本、好きです。だから、読みました、400頁超のこの「改訂版」も。
でも、西洋の歴史に関するあたりの歯切れの良さ、おもしろさに比べると、近代から現代の日本にかんする部分に不満が残ります。個人的にこういう人を1人知っている、といったエピソードを一般論に変換してみたり、具体的な統計や指数、あるいは研究はないのに、観念的に「不能者/不能症」が「増えている」と言ってみたり。「増えている」というのであれば、時間軸的にいつから見られる現象で、何を基準に増えている/多い、といったことが言えるのかを示してこそ学者だと思うのだが、思っていることを述べているだけならば漫談の類です。
女性にかんする記述も多いのですが、男性高齢者である著者が語るには限界がありすぎて、気の毒。時代は変化しているのですから、女性が書いた論文なり著述を引用するなりして視点が固定するのを防げばよさそうなものですが、していません。教え子のレポートで知ったことですが、と言いつつも、そういった出典を明確に巻末に提示することもしない、という独善的な部分に納得できません。
同窓会にて。
★★★★☆
この本が役に立った話を。
私が卒業した中学校の同窓会は、ぶっちゃけトークが全開。
40を過ぎた、いい大人が、言いたい放題。先日も、
男子「だけど、K男のあそこはでかいんだぞ!」
男子一同口々に「あれはすごいよなー」「見たら、ごめんなさいだよなー」
女子「だから何だって言うのよ。この際だから、あんたたちに言うけど、
男は大きさじゃないのよ! 右曲がりだろうが左曲がりだろうが、
関係ないの! 大切なのは思いやりよ! ね、aoiちゃん」
aoi「(そこで振るなー!)。。先日、これこれこういう本を読んだところ、
セックスは男も女も各自のマスターベションだと書いてあった。
だから、思いやりは大切だと思う(本当は経験と好奇心もだが。。)」
一同、深く感じ入った様子で、後で、「何ていう本だっけ」という問い合わせも(笑)
現実的に、役に立つ本だと、私は思いました。
歴史的な部分は、キリスト教徒にとっての『原罪』の重さを鑑みると、
面白く読めました。
いずれにせよ、『幻想』にうっかりはまりこんでしまいがちな、ミドルエイジに、
お勧めです。
かたっくるしくなくて、面白い
★★★★☆
内田春菊の表紙に思わず「ジャケ買い」してしまった『ものぐさ精神分析』の岸田秀の新刊。
以前に文春新書から出ていたのだが、あとがきによると出版後にバイアグラについての論述に対して、ファイザー製薬の社員から事実誤認があるという手紙をもらったり、その後にもいろいろ考えたことなどが増え、ほぼ倍増という分量で文春文庫から出ることになったらしい。かなりお得である。もう70を超えるのに、未だに女の子と楽しんでいるような書き方が、なんか読んでいてビクビクする。いや、本当に楽しんでいるのかもしれないけど。
岸田秀に対しては比較文学者の小谷野敦が前々から批判的であり、江戸幻想批判―「江戸の性愛」礼讃論を撃つという本も出しているが、本書を読むと確かに岸田が前近代に過剰な幻想を抱いているようにも見える。小谷野の最近のブログ(http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080903)でも、本書が少し取り上げられている。
他にも、西洋と東洋のあまりにもクリアカットにされた二元論というのは、どうも眉唾もんのような気がしてならない。例えば、東洋は恥の文化であるから路上キスができないが、罪の文化である西洋人にはそれが神の名において二人でやるならば罪でないからできるという。しかし、もともとキリスト教はセックスを罪としたと岸田は書いており、なら公然と性的な行為をするのは罪に該当して、してはならないという心理が働く可能性はないのかという話にもなってくる。
ただ全体的に見れば、岸田の独創性あふれる性の言説というのは読むに値すると思う。
彼の性言説の大前提となるのは、「人間の本能は壊れていて、性的に不能である」ということ。人類は、発情期になるとオートマティックに性交をする動物のようには出来ないから、個々人が自分なりの性的幻想を持っているわけである。
トラウマとは語り得ぬものであり、精神分析家は患者の症状に架空の物語を与え、治癒する。性欲とは、人類にとってその真相が語り得ぬ七不思議のひとつに数えてもいいものではないだろうか。そう考えることができるならば、この岸田の「物語」も、その症状を説明する物語としては読めはしないだろうか?小谷野センセ。