随所にハッとする発見がある
★★★★☆
私が興味深かったののは、本書の中の次のような項目である
「文明は伝染病である」
「ニーチェは、フロイトの先駆者であった。ニーチェは『善悪の彼岸』の中で
『それは私がしたことだ』と私の記憶は言う。『
それを私がしたはずがない』と私の矜持は言い、
しかも頑として譲らない。結局、記憶が譲歩する。
と述べている。これはまさしく超自我のことだ」
なるほど。フロイトが苦悩の中で見つけた法則を、
直感で見つけたニーチェは、どんな天才なんだろう。
『人間はいつも、何かを守っていなければ安心できない存在だ」
これも頷ける。自分のためばかりでは、
そうそう、がんばれるものではない。
ところで、精神分析の用語を随所に使って
分析しているが、
それらの言葉を分析のタームとして使うのは
精神分析が確立していないだけに、正しいことなのだろうか。
性的唯幻論は唯幻論の試金石
★★★★☆
「性的唯幻論を越えて」の章は「肉体の商品化を支えているもろもろの幻想の幻想性を認識し、それらを一つ一つ打破してゆく必要があろう。」と締めくくられている。元版が出た1978年から30年経過して事態はどう変わったか。著者はこの問いに答えるべく近頃(2008年)も性的唯幻論の「改訂版」を出しているから、今更ものぐさ精神分析でもない、と思われるかもしれません。でも岸田節は落語みたいなもので筋は同じでも語り口は毎回ちがうから、性的唯幻論の事実上のデビュー(正編は史的唯幻論がメイン)である本書は岸田本を読み慣れているひとにもおススメです。著者にしても所説の開陳がまだ一回目だから、説明が叮嚀です。それに文章に臨場感があって、今の感覚に慣れているひとは(わずか?)30年前はこんな感じだったのかと隔世の感を懐かせられるにちがいありません。
「出がらし」ではない刺激的啓蒙書
★★★★☆
唯幻史観(本書では史的唯幻論)によって近代社会を鮮やかに切って見せた「ものぐさ精神分析」の続編。本書はより身近なトピックスを対象にしており筆致も自由奔放で発想も自在。「全ては幻想である」、「人間の本能は壊れている」と言う信念が全編を貫いている。決して「出がらし」ではない。
文明を"病"と断ずる事は別に目新しくないが、"伝染病"とは言い得て妙。「死への恐怖」は人間以外の動物にもある事は自明で、これを種々の社会制度の唯一の要因と決め付けるのは流石に無理だろう。「史的唯物論批判」は本書の核心で、平凡だが首骨できる点が多い。日本的"諸行無常"の歴史観の延長上に自らの「史的唯幻論」があると嘆いているが、自然な流れだろう。「アメリカの精神分析」、「集団と狂気」、「守る」は現代の混迷を予見しているようで鋭い。動物園から"覇権幻想"に話を展開する辺りは著者の真骨頂で、「マニアについて」、「流行について」等と同様、軽い話題から深遠な考証に論理を飛躍させる手法が読む者を魅了すると共に、書き手の余裕を感じさせる。次章では「性的唯幻論」を"女性の肉体の商品化"をベースにして論じるが、論理的には受容出来ても、理が勝ち過ぎている気がする。性の問題は難しい。「近親相姦のタブー」を社会成立の前提条件とするアイデアは卓抜。「しつけの問題」、「価値について」の二編は秀逸な論考で、ここだけでも本書を読む価値がある。作家論はやや平凡か。
著者の「唯幻論」は国家、社会、制度と言った機構に巧く機能するが、"個"にも適用できるのには正直驚いた。ツボに嵌った時の刺激は強烈で、既存の常識に飽き足らない方への格好の啓蒙書。
文庫版プロザック
★★★★★
この本を読んでから様々な局面で精神的な免疫が出来た気がする。初めて読んだときも私の脳が求めている言葉が次々と出てきた。そればかりか街で少しおかしな人を見ても気が滅入る様なことがなくなった。ああこの人は人格を共同化出来なかったんだなと思うようになってきた。生活していくうちに別な効果も期待され、実に楽しみである。
社会の構造を知るための必読書
★★★★★
子供に「素直になりなさい」などと言える親は、子供の心を知らない無神経な親である。はたして彼らは子供が本当に素直になった場合のことを考えた上で言っているのであろうか? 子供というものは、親子関係をスムースに保つため、親に気に入られるため、かなり気を使い、気をまわし、不満や疑いを押し殺しているものなのである。とにかく、子供がのびのびと自由に振る舞い、そしてそれが親の気に入ることと一致しているといったうまい話が転がっていないことだけは確かである。(「子の心親知らず」の要約)