日本は政策危機である
★★★★☆
日本は財政危機ではないという著者の主張。
ではなぜ年々財政が悪化しているのか?
財務官僚の巧妙な支配の構図。
厚生官僚のずさんな年金運用。
政治による主導、
有効な政策による主導が欠けていると指摘する。
財政危機ではないが、
有効な政策が打てないでいる。
日本は政策危機であると感じました。
小泉改革の立て役者の財務省情報
★★★★★
元大蔵官僚である著者が、財務省、いや、大蔵省の体質を告白。
そもそも、財政赤字のなか、霞ヶ関埋蔵金で有名になった著者ですが、その暴露の本当のねらいは、日本を支配する?集団である官僚集団についてとなっています。
よって、本書は、日本を支配する最高頭脳集団の真の姿を見せつけてくれます。
官僚支配の方法を知るための必読書と言えそうです。
このほかにもテリー伊藤のお笑い大蔵省とともに官僚制度を考えさせる必読本です。
説得力はある
★★★☆☆
官僚OBの著者だけに、説得力はある。
個人的な賛否は別にして、著者自身は「上げ潮派」を明言しており、
自らの主張を明確にしている点は好感できる。
ただ、素人にも読めるようにと意識したのか、論拠が簡潔すぎる。
また、財務省や日銀の思惑や意図をあまりに単純化しているのではないか。
小泉流?煽り
★★☆☆☆
冒頭に、財政政策が有効でないことを述べるのに、マンデル・フレミング理論のみを出している。財政政策の無効性を述べるのは結構だが、著者が主張したいマンデル・フレミング理論は資本の完全移動がないと成り立たないし、また日本でこの帰結が成立したならば、1990年代の大規模な総合経済対策出動時に、大幅な為替の円高と財政出動を完全に打ち消す輸出減少が発生したはずであるがどうであろうか。ここで著者が言いたいことは、金融政策が重要で、日銀が政策を誤って、財務省も誤っていた、ということを言わんがための伏線にすぎないが、財政政策を少し知っている者ならば、マンデル・フレミング理論「のみ」を出して財政政策の無効性を述べるのは唐突であり言葉足らずである。
著者の書き方で読んでいて最も辟易するのは、自分のグループ(恐らく竹中さんや猪瀬さん)が持っている主張−政府の財産・権限縮小、地方分権、公務員改革−に反する各々の勢力がさも結託しているかのように仮想敵陣を作り出してネガティブキャンペーンを張っているところである。例えば、「消費税を年金財源に充てようと言う財務省は、地方に税源委譲できないようにしている」という言い方で財務省や財政タカ派を自分たちの意見に反する集団に位置づけようとするpp. 147-148の議論。現在ある議論は、年金のみならず医療・介護などといった社会保障を、増税案件として最もコンセンサスの取りやすい消費税で賄う、というものだ。社会保障の多くの項目は地方に任されているので、社会保障目的の消費税の一部ないし多くを地方に委譲することは自然であるし、1997年の消費税増税時のように、予算総則に消費税収を社会保障関係費に投入するよう明記すると共に消費税の一部を地方に回すことを共に行うことは可能である。増税と地方分権を両立できるかは政治家の力量であり、そもそもは独立の問題である。然るにこの2つのマターを一緒にして、財務省(及び財政タカ派)が地方分権に反対しているようなイメージ操作をしてまで自分の敵の大きさを喧伝する手法は、自分の反対者に「抵抗勢力」というレッテルを貼って強権を出動した元宰相を髣髴とさせる。
また、経済成長率が上がると金利負担も上がるという財務省幹部の意見などを「財務省が成長路線に否定的」と断罪し、「財政原理主義」というレッテルを貼る(pp. 56-58)。そもそも、財務省という組織自体、税(収)に関する主税局・予算運営に関する主計局・国債の引き受け先などを担当する理財局は、経済変化に伴い自分の業務内容に対して異なる関心を持っているはずであり、組織単独の論理・意見を持っているような言い方はやはりイメージ操作である。経済成長は自然増収をもたらし主税局には朗報であろうが、金利が上がれば理財局は心配になる。金利と経済成長率の予測が著者と異なるものとなれば、上記のような悲観予測が出うるが、それでなぜ「財務省が成長路線に否定的」となるのか。もしそのような見解が財務省全体としてあり、財務省が経済成長を抑制する政策をとった例があるならば、いくつか挙げていただきたい。
この本で最も落胆したのが4章(税と年金)だ。「どの国にもある」アングラマネーが、「多くの国がやっている」国民総背番号制で捕捉できる、という主張から始まる。納税者番号制度のある国はアングラマネーがないのであろうか(税収一兆円という皮算用は大きすぎ)。また、住基ネットを用いた納税者番号制度が(まだ)施行されないのは、役所からの情報流出といったセキュリティの問題が露呈されたからだ。つまり著者が批判する官僚に、個人情報の一括管理という業務を委託できるインフラがまだ整っていない。このインフラ整備の遅れに対して官僚を批判するならまだしも、そこに触れずに自分の政策を「合理的」果ては「良識派」(納税者番号制度の議論は20年以上続いている)まで言うのは表現がきつくはないか。また、年金財源を消費税vs所得税で考える際、議論の中心は応益vs応能原則ではない。負担の偏りが大きく、配偶者控除等により水平的公平性の欠けた所得税ではなく、国民全体のの関心事に対しては広く薄い税を用いるべきである、というのが学界や政界での意見の主流であり、欧州の福祉国家で付加価値税が高いことの理由である。また、年金保険料に関する議論では2004年の年金改正の話が完全にスルーされているが、著者が竹中さんや小泉さんに肯定的であるためなおさら、このスルーは気になる。2004年改正で大幅な保険料上げが決まり、それでも未だ年金不安が解消できないので、消費税問題があるのだ。そこに触れずに、「やるべき問題をせずにひたすら消費税アップだけを叫ぶ財務省」という言い方で読者を煽る。
舌足らずに思えるのは5章(金融政策)だ。日本が名目成長率を4-5%が実現できる論拠の一つが、この数字がOECD加盟国の平均であるからと言う。OECDには高度成長の国も多く含まれているというのに、である。そもそも、予測(潜在)経済成長要因は外国と比べるものではなく、労働生産性・労働人口成長率・資本稼働率・技術進歩などの要因で決定されるものである。経済財政白書などでも発表される成長会計において名目成長率を4-5%としているものはない。また、外国と数字を比較するなら、いくらデフレでも日本の実質金利はOECDと比べて低いであろう。デフレと金融政策の有効性を盛んに主張するが、実物面から考えて、今の日本では実質金利が何パーセントくらいなら日本は4-5%成長が可能なのであろうか。また、不況下で銀行は優良な貸出先に困って大量の国債を購入し、量的緩和にも関わらず銀行は貸出量を減らしている状況は、情報の非対称性に伴う構造問題が金融問題の根本だと思われるが、この状況でハイパワードマネーの増加がどうやって市中に出回る(貸出先を見つける)ことが可能なのか。ここでも自分の反対者を「御用学者」と煽りの言葉。売り言葉に買い言葉なら、著者こそプリンストンの御用官僚かもしれない。
また、確証があるのかないのかよく分からないが刺激だけ強い文章がところどころにある。極めつけは、「財務省がIMFに圧力をかけたという話もある。もちろん確証があるわけではない」(pp. 29-30)
著者や竹中さんや猪瀬さんが大変な苦労をしたのは分かるし、霞ヶ関や永田町にフィクサーがいるのも分かる。本書には正しく興味深い内容も多い。しかし不要な煽り言葉、不必要な抵抗勢力の創作、自分と反対勢力に関するバイアスのかかった描写等で少しでも筆を抑えてくれれば、はるかに良い内容になったと思う。今後中川秀直さんや渡辺喜美さんが政権の中枢に関われば、著者や猪瀬さんの活躍の機会も増えると思うが、煽りや抵抗勢力の創作に奔走せず、その際には内容のある改革に尽力して欲しいと思う。
「国民」とは?
★★★☆☆
かつて小泉元首相が「改革には痛みが伴う。国民にも我慢してもらわねばならない」ということを言った時、その「我慢」が上はせずにすみ、下へいく程より厳しくかかってくる我慢なのだと判っていた国民はそう多くなかったと思う。本書は経済官僚たちの国益よりエゴイズムを優先させるとんでもなさをよく伝えてはくれるが、「大きな政府」と「小さな政府」の論争や「国民のためになる」と言うとき著者の脳裏にどういう国民像が描かれているのか不明である。収入がどのくらいで何歳ぐらいの「国民」のためになるのかが具体的に提示されない状態での軽々な判断を、我々はもう下してはならないと思う。