音楽四方山話。
★★★☆☆
『丸山眞男〜』よりは自由に伸び伸びと書けています。
内容は「ウィーンフィル関連」というよりは、
ウィーンフィルをめぐる音楽四方山話といった印象。
その分、意外なことも多く含まれています。
偏っていることも事実。
著者はショルティが非常に嫌いらしく、
登場すると必ず批判し、無能の烙印を押す。
だがショルティは、ウィーンフィルとあの「指輪」の歴史的録音もしているし、
そのことだけでも大きな存在なのに。
ベームや古楽派にもきびしい。
フルトヴェングラー関連の話は、なかなか興味深くおもしろかったです。
帯には「小澤征爾とウィーンフィル 東と西の音の闘いがいま始まる」
と書いてありますが、そんな内容にはなっていません。
マネジメント論として読んだら面白かった
★★★★☆
この本を読むきっかけは、あるコーチングの本(だったと思う)で、コーチングと人生の参考にという意図の巻末参考文献に含まれていたことだった。
レビューでは大分厳しい批評が多い本だが、私は十分楽しめた。オケの経験は無い。クラシック音楽は軽く聞くが、まさしく本書が危惧しているアメリカ式の正確な音が出れば良い音楽と、多少のズレがあっても地域色があって音符に載せる情報量が多い音楽の区別などわからない。
常任指揮者を置いていないことも、ピッチが445であることも初めて知った。
そのような音楽的な観点ではなく、私は、この本を7割型、リーダーシップ論・マネジメント論・企業文化論として読んだ。ずいぶんとコンテクストが変わる。
強力なリーダーがいなくても一人ひとりがプロフェッショナルたることで存続できる。自分たちで組織を運営し、客演指揮を選定することが自発的な活動を産む。指揮者はこの荒くれ者をヒエラルキー的に統率するのではなく、自分の方向を示しつつ、好きなように演奏させ、時にはソリストの演奏(ヒット商品)や観客(顧客)の雰囲気に合わせて演奏を途中で変えることまで要求される。楽器や演奏者も含め、ウィーンスタイルという文化に染まっていることが重要で、協調性のない者(企業文化に馴染めない社員)は辞めることを余儀なくされる。
画一的なミスの無い演奏と、売らんかなのアメリカン・グローバリズムに揉まれながらもなんとか生き残りを賭けるウィーン・フィル。そのスタイルが次世代にも残ることを祈る。
私はこの人の本は好きだなぁ…まあーかなり個人的な思い入れが強いけど。
★★★★★
逆に言えば個人的な思い入れ無しでは…ウィーンフィルのファンなんてやってられない(笑)ある意味、阪神ファンと似ている。「客観的に良い作品」より「ウィーンフィルらしい駄作」を愛せる様になるためのガイドブックなんでしょうなあ…まあー客観的に良い音楽なんて在るのか?って気もするが。
自己自慢と独自解釈の集大成
★★☆☆☆
ウィーン・フィルの歴史のように、史実があるものについては良くまとめられている。
著者が音楽プロデューサになってから知り合った音楽業界関係者の話や、ウィーン・フィル旧メンバーの話(というより感想レベルに近い)が多く、所々、著者がプロデュースしたものをさりげなさそうにアピールしているし、Mr.ウィーン・フィルとまで称されたゲルハルト・ヘッツェル氏が、入団条件を満たしていないのに1969年にコンサートマスターとして入団できたのは、カール・ベーム氏の強い推薦があったという「噂」を、噂と断りつつも裏取りせずに、実しやかに書くのはいかがなものか。著者がベームよりカラヤン贔屓なのは仕方ないにしても、事実ではないかもしれない事をあたかも事実のように書き、出版物にする責任を、中野氏はどう考えているのだろうか。
ニューイヤーコンサート
★★★★★
ウィーンフィルというと、ニューイヤーコンサートをテレビで見るのが、
毎年の正月の行事になっています。
シュトラウスの曲は、ウィーンフィルに限ると思います。
出てくる人で、知っているのはベームくらいです。
来年の信念は、この本を読みながら、局を聴きたいと思います。