いつまでも愛おしみ、慈しめる本(私にとって)
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中野雄氏の丸山本は同じ文春新書で「丸山真男 音楽の対話」を読んでいて、その暖かく精密に師を描き出す筆致に感動しました。今回読んだこの本はまさに「人生の対話」。
中野雄氏ご自身が東大法学部丸山真男ゼミで多大な影響を受け、その後40年間も丸山真男と交流されてきた方だからこそ、そして何よりwarm heartをもった人なので、この方の紡ぎ出す文章はどこまでも明哲で且つ暖かく感じられるのだろうと思う。
この本は僕にとって愛おしみ、慈しみ続けられる本になった。座右に置いておくだけで幸せを感じる本。
なぜなら、かつてはこんな美しくも潔い日本人がいたものだということを確信させてくれる。現代でも、そういう師匠の衣鉢を継ぐ中野雄氏のような人が語ってくださるので、僕等はその言葉をシャワーの如く心に浴びることができる。日本人に生まれてよかったと思う瞬間だ。
丸山眞男の「限界」と「潔さ」を著者の体験記の形式で克明に伝える
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丸山眞男氏が逝って,かなりの時がたつ。丸山氏の歴史的位置づけについて,冷静に考えることも可能となってきた。著者に残された時間はあまり長くない。これが執筆の動機の一つだろう。
著者中野氏は丸山「内弟子」の如き存在で,長い間,丸山氏と昵懇の間柄。巷には知られていないエピソードあれこれの紹介はファンにとっては貴重な価値がある。これだけでも一定の水準をクリアしている。
今回,それを越えて読者を惹きつけるのは,第六章「1960年の丸山眞男と下村治−日米安保と高度成長−」。この章に丸山氏が認めた自身の「限界」とその後の潔い身の処し方および周辺エピソードが記されている。此処に氏自身が説いた「精神的貴族主義」の峻厳なる「言行一致」を見るのは小生だけではないはず。
本書で著者はさらに一歩踏み込み,下村治氏(日本開発銀行理事・高度経済成長と終焉およびバブル経済を予言)の業績・これを支える平田日銀副総裁の大局観について,著者中野氏と丸山氏とのかかわりと並行して描いてみせる。その皮肉なまでの「歴史的対比」は,著者を「教育」する大蔵省=日本開発銀行一体の極めて贅沢かつ「辺境国日本」的な教育システムにかかわる関係者証言の項で一層際だつ。
時同じくして,丸山眞男氏は英国オックスフォード大学にシニア・アソシエイトとして招かれる。英国に丸山氏を訪ね,異国の地で歓談する師弟。開銀が著者中野氏に「留学」を命じたことについて,丸山氏曰く「大蔵官僚ってのは優秀なんですね。常に天下国家のことを考えている。しかも,そのために今なにをなすべきかということもわきまえている。きちんと手も打っている。ただの《理想論》じゃないんだ。良い上司に恵まれていますねえ」…かつて,私たちの国にもこうした至福の時代が確かにあったのだ。著者はこうしたできことを「歴史の一ページ」として遺しておきたかったのに違いない。
斯くの如き性格を持つ本書は,丸山眞男氏についての半可通の反発を買うことが予想される。反面,丸山氏についてこれといった先入観を持っていない読者には,高度成長期における思想的パースペクティブとともに丸山氏の優れた業績・人柄を伝えてくれる魅力ある作品の一つとなる。著者を措いて,こうした内容のものは他に書ける者がいない,文字通り「かけがえのない一冊」。
中野氏がいかにして一流の音楽プロデューサーとなったのか,小生はいままで疑問を持ち続けてきたが,本書を読んでその疑問は「氷解」した。「開銀なくして,音楽プロデューサー中野氏なし」だったのである。
丸山眞男の人なりや人生が具体的に理解できます。
★★★★☆
中野さんの前著『音楽の対話』で、人間丸山の理解できない、驚きの一面を知った。自宅での正月、弟子達との語らいの場で、丸山がテーブルを飛び越えて、既に社会的にも地位を得ている弟子にびんたを食らわせた。空気が凍りついたと言う。
今回の本では、あらゆる方面での、丸山が当面した際の集中力と探求心、丸山の面目躍如の様が具体的事例によって活写されている。
「丸山語録」と言うメモを中野さんがしたためておかれたおかげで、中野さんと一緒に丸山に会って、貴重な話を伺った気持ちになれた。
中野さんの律儀で几帳面なご苦労に感謝いたします。
「丸山式の思考回路」が流布する上で、また丸山との対話に「参加」させていただけることになる上で、この著書は、多大な貢献をすると思います。
但し、下村治の「処方箋」(分析と政策)の評価には疑問や問題を感じます。
この筆者の定番
★★☆☆☆
なんだか文章も紋切型だし、自分の学歴をさりげなくひけらかす様子といい、内容以前に鼻につきます。読み進めるのに苦労します。