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われ巣鴨に出頭せず―近衛文麿と天皇 (中公文庫)

価格: ¥1,150
カテゴリ: 文庫
ブランド: 中央公論新社
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どこの国の歴史にもあった、王朝国家末路のすがた ★★★☆☆
東京、JR山手線・目白駅の、東側に学習院大学がある反対側、西側の高台一帯を地元では通称「近衛山」という。高田馬場から目白に向かって山手線左手の車窓に、スペイン風の白い建物が高台に見えるあそこから目白通りまでの大半2万坪(約7万平米)が「近衛邸」の敷地だったのにちなんだ通称。いま「井上靖記念館」のあるあたりに本邸建物があったそうで、また、まだ早稲田大学の学生だった「堤康二郎(のちの西武鉄道オーナー)」氏が、最初に宅地開発事業を手掛けたのも、この土地だったといわれている(「下落合文化村」は、さらに1キロほど西に行った所)。
昭和史を語る上で絶対に外せないのが日華事変中3次に渡って内閣を組織した「近衛文麿」氏の存在。
だが、彼は、出自の貴種性に依拠するだけの統治者であって、本書による限り、とうてい国民をつき動かすような政治力を持った人間とはいえず、虚構にも似た近衛文麿という存在を、この国の首相に起用するしか選択肢がなくなっていたこと自体、すでに破綻に瀕していた国家的悲劇の表象ということになろう。
彼の、いわゆる「先取り論」にしても、自己の主張を措いて他者を取り込もうとする戦術的主張にすぎず、政治家は、ときに応じて妥協や変節は許されても、おのれの言葉や信念が持つ強い説得力を欠落させては他者を駒として動かすことができないという人格的資質の点で、彼は、欠点だらけの人間だったと見るしかない。すでに軍部内で影響力を失っていた皇道派への過剰な思い入れなど、陸軍主流の統制不規に対する反感から出たものだが、完全に的を外している。政党活動の経験も閣僚経験もなく、苦労の足らないまま総理大臣に就任してしまった「お坊ちゃま政治家」で、いかにも政治家として力量不足だったのは否めない。
その近衛文麿の伝記ということで、読者の共感を得るため、著者の見方が甘くなるのは致し方ないとして、しかし、「(自決後)60年目の真実」というにあたる何かが本書にあるわけではない。
残念ながら、近衛文麿に対する従来の評価を転換させるようなものは本書から何も見出せなかった。
本当に弱いなら… ★★★★★
本当に弱いならあれだけ言葉に影響力をもたらす人物が無言で誰も非難せずに断命するだろうか。悪口ばかりで醜い世の中。静かに責任を問おうとする相手に『弱い』という資格があるか。弱いならGHQから信頼を得られたか。名門公家の血をひくにふさわしいやはり寡黙というスマートな最期である。本当に悪人で真の戦犯ならば時を経て今なお評価を得られるのは何故か。人のせいにしなかったからではないか。『弱い』とか『優柔不断』と云われるが、そのように揶揄する人間は非業の死を遂げるとき、黙して終われるか。今の政治家や学生は学ぶべき点が多々あると思う。
推奨 ★★★★☆
「第12 ハーバート・ノーマンと都留重人」には、鳥居民氏の『近衛文麿「黙」して死す』とほぼ同趣旨のことが書かれている。木戸幸一の縁戚筋に当たる都留重人とその友人ノーマンの筋書きにより近衛氏の悲運が決したという見解である。文字通り「黙」したまま従容と死に赴いたという点で、近衛氏は後世の歴史家が描く「意志薄弱な名門貴族」ではなく、強い信念の持ち主であったという結論が導かれている。強い信念の結果がなぜ死を選択することに結び付くのか?なぜ「強い信念」にもとづき、真実を明らかにし、どのような形であれ日本の再建に寄与する途を選択しなかったのか、については説得的な祖述はない。この点を含め、総じて近衛=善玉、木戸=悪玉との印象を与える点がはたして公平な評価といえるのかどうか、大いに疑問が残る。とは言え、ノンフィクション作家としての著者の力量に疑問はない。平成生まれの若者が成人に達し、ますます昭和の記憶が遠のく今日、日本の運命を決定づけた昭和史を改めて検証する作業の重要性を再認識した。
罪のなすりつけという仮説には共感できない 二人の運命を分けたのは… ★★★☆☆
私は、常々、対米戦争という国家破滅の愚行に至った直接の原因は中国侵略にあると思っている。太平洋戦争は、米国に追いつめられ、民族の存亡を賭けて戦わざるを得なかった自衛の戦争である、などという白々しい弁明は、それこそ日本側の「東京裁判史観」であって愚劣極まりない。こういう考えを持ち上げる輩を苦々しく思ってきた。

だから、日米交渉打開のかぎは中国撤兵の是非にあったとする本書の歴史観には大いに共感する。この決断ができなかった状況を、陸海それぞれの自己保身的な軍官僚の発想や二・二六事件以来の統制派と皇道派との派閥抗争などの暗闘から説明している部分は、なかなか説得力があり筆致が冴える。

かといって、開戦前の首相である近衛が一身を賭して撤兵を主張したとか、終戦直後の木戸が自らの責任を転嫁するために近衛を陥れるようなでっち上げをしたとの仮説にはあまり共感できない。木戸自身も絞首台はかろうじて免れたもののA級戦犯として終身刑を宣告されている。まんまと罪を逃れられるような立場ではなかった。木戸は天皇を庇護する神話作りで一貫しており、早々に退位論に傾いた近衛は切り捨てざるを得なかったのだと思う。親族を巻き込んでの私怨はらしなどでもない。

いずれにせよ、鼎立していた行政権と両軍の統帥権を最後に統べる昭和天皇の開戦責任は論理的には免れなかったはずだ。二人の運命を分けたのはどう天皇を守るかだった。開明的で沈着な一方は、天皇退位は免れないという責任論に矜持を保ち、忠義一辺倒の一方は、開戦=無力、終戦=聖断という昭和天皇神話に賭けた。GHQの軍政トップは早くから反共と象徴天皇を構想していたのであり、容共で急進的な民政派は狂言回しに過ぎない。結局、開明派よりも守旧派が生き残ることになったのはよくある歴史の皮肉としか言いようがない。

天皇を救ったのは中国内戦であり、冷戦だった。近衛や木戸が黙して語らなかったのは、陸軍の暴力を恐れ国家主義者の激昂に怯え中国撤収の優諚を口にすることを受け入れなかった昭和天皇の生々しい言動だったのだと思う。
見直される貴種の政治家、近衛文麿 ★★★★★
近衛文麿の評伝としては昔、岡義武著「近衛文麿−運命の政治家−」(岩波新書、1972)を読んだことがある。近衛は2.26事件後に、青年貴族宰相として国民の期待を担って登場したが、蘆溝橋事件に始まる支那事変を軍部の独走を抑えきれずに拡大させて政権を放り出し、結果として日米開戦に至らしめた優柔不断の政治家という印象が一般的であろう。そして戦後はGHQから戦犯容疑者に指定されて自ら毒を仰いで自裁したとされる。

本書は近年になって明らかになってきたソ連そして毛沢東による国際共産主義の諜報・謀略活動が満州事変以来の歴史の底流にあることを踏まえないと昭和史や近衛を正しく理解・評価できないことを語っている。
近衛は、結果としてコミンテルンの手のうちで踊らされた悲劇の政治家ということになろうか? 戦争末期にはいわゆる「近衛上奏文」を天皇に上奏し、敗戦後はマッカーサーに共産主義の脅威を説いた。そして新憲法制定を要請されたが、戦犯容疑を受けて挫折した。この裏にはGHQの一員として来日したカナダ人、H.ノーマンの暗躍があり、本書はその詳細を描く。ノーマンと都留重人の関係はよく知られているが、木戸幸一の関係が興味深い。

近衛の評価は、今まで不当に貶められていた感がある。時代と格闘し、敗戦後も日本の尊厳を守るため毅然として行動した貴種の政治家、近衛は見直されるべき時期にきている。なお、本書が東條英機、松岡洋右に対して紋切り型で冷たいのが少々気にかかる。