難しい科学論からの解説でなく、その言葉の由来を歴史的に
詳細にひもとき、掘り起こしつつ、同時に、
「偶察力」という言葉に置き換えて、
これを一種の「能力」として、仕事に、日常生活に、趣味に
言葉遊びに、知的仕掛けとして使っていこう、というお話です。
驚嘆すべきは、著者の博覧強記ぶりです。セレンディピティ
を巡って、起源、歴史、古典、映画、科学論、科学史、
書籍、新聞、雑誌、ネットなど、おおよそあらゆる
情報ソースを駆使し、ちょっとした日常の場面で、
どんな場合にどう適用していくのが、おもしろいのか、
を、わかりやすく親しみやすい文章で開陳しています。
著者の記憶力と、セレンディピティへのこだわりが生んだ、
驚異の博識ぶりも本書の売りです。
最初の3分の1は「セレンディピティ」という言葉の由来について。「セレンディップ(Serendip)の三人の王子」という物語に出てくる偶然についてを、イギリスの書簡王ホレス・ウォルポールが手紙の中で名詞化(Serendipity)したのが始まりなのだそうだ。他にも、この言葉が生まれた18世紀の社会状況や、ウォルポールの生い立ちについてなどが細やかに書かれている。これはこれでよく調べられているとは思うが、話が若干右往左往する感があり、「言葉の由来を知って何になる?」という感はあった。
だが、そうした感を払拭してあまりあるくらいによく書かれてあるのがそこから先の、セレンディピティを高めるための方法論だ。世界的な革命をもたらした発見の共通点をあげたり、トマス・クーンの唱えるパラダイムシフトとの関係やシンクロニシティという言葉とのちがいなどを述べている。さすがにセレンディピティ研究の先駆者が書いたものだけあり、これは発想に役立つと思うところが多かった(何か所も傍線を引いてしまった)。とくに「7 セレンディピティの向上」の章では、意図的にセレンディピティを高めるための一連のシステムを紹介している。
偶然という現象自体について述べた本はアーサー・ケストラーの『偶然の本質』などがあるが、この『偶然からものを見つけだす能力』はその偶然を人間の力によってうまく引き出して利用しようというものだ。「自分にできるかも」という期待感をもたせてくれる。また、偶然がともなうブレークスルーは、ともなわないものよりも大きな成果をもたらしうるそうだから、セレンディピティを高めたい気持ちは高まってくる。なんとも魅力ある話だった。
「セレンディピティ」というやや耳慣れない言葉の語源を紹介し、以降文献上に現れた事例を辿るところから本書は始まる。学問として成立させるには困難が予想されるであろうトピックに向かって、著者はいろいろな例を挙げ「セレンディピティとはどういうものか」を読者に伝えようとしてくれる。
ざっと概念を紹介して、例を挙げながら読者にテーマを手渡す、という点ではよく出来た内容だと感じた。文献を辿る記述は文学者のスタイルに近く、著者略歴を見て理系の方だったのに驚いたくらい。文献の選択も文系・理系双方からなされている。新書としてはよくまとまった良書。一読の価値はあります。