ツヴァイクによる私のヨーロッパ
★★★★☆
この本はオーストリア・ウィーン生まれの作家・詩人
S.ツヴァイク(1881−1942)の自叙伝です。
ただ自叙伝といっても著者自身が述べているとうり
自己の生い立ちや功績を主に記しているのではなく、
ツヴァイクの交流のあった時代を代表する偉人・知識人たちの人物像を描き出す
ツヴァイクによるヨーロッパの知性たちの伝記ともいえるでしょう。
と同時にヨーロッパの風習を知るのに最適な歴史的資料ともなっています。
上巻ではツヴァイクの生い立ちからギムナジウムでの生活、
また当時のウィーンの風習・風俗が事細かに書かれ、
その後詩人として出世しヨーロッパ各地を転々として
ホフマンスタール・リルケ・ヘルツルなどと知り合い交流し精神的影響を受けることになる。
その後平穏な”昨日の世界”で順風満帆の人生だったツヴァイクだったが
しかしついにあの運命の1914年の事件が起こる・・・・。
個人的には、世紀末帝政ウィーンの町の様子が描かれている場面が特に興味深かったです。
(当時の売春宿や女性の服装習慣まで言及されているところなどが)
ただツヴァイクの文章の表現(翻訳?)が若干まわりくどい感じがしました。
第1次世界大戦前の古きよきヨーロッパ文明と
その後の全体主義の台頭による”ヨーロッパ”の崩壊を
一人の文化人の目でみた、また体感したドキュメントとして
ぜひ興味があるかたは一読するのをお勧めします。
激動の時代に出会ったツワイクの自伝
★★★★☆
「昨日の世界」を読んだのは、「昨日」ではなく遠い昔だが、このような歴史は、再び繰り返される運命なのであろうか?第一次大戦の前の世界、それをツワイクは、「ヨーロッパの黄金時代」と呼んでいる。 彼の生まれた、多民族国家である「オーストリアハンガリー帝国」は、内に多くの民族的軋轢を抱えていて、そこには、民族主義者や貴族・ユダヤの大商人・大半を占める半農奴や、各階級間の対立と憤懣が底辺で揺らめいていた。フランツ・ヨーゼフの統治する帝国社会で、皇帝は、それでも多くの庶民に敬愛を受けていた事も確かである。旧世界体制では、常に裕福な支配階級と、農奴の如き貧しい人民の対立があった。だが、ウィーンの上層階級では、比較的平穏で、豊かな文明の爛熟期を謳歌していたといえよう。ヨーロッパ随一の名家として、ハップスブルグ家の統治は、時代に後れた、多くの問題を抱えながらも、それを先送りしていた。ツワイクは、此処で数々の著名人ーゲオルゲやホフマンスタール、マーラー、フロイト、等、その他、多くのこの都市に集まった、文明の旗手を書き連ねてウィーンの華やかな文化を物語る。幸せだった幼少年期を、いと惜しむ心で、思い出を書き綴るのだ。
オーストリアの豊かな繊維業者の家庭に生まれた、ツワイクの青年期は誠に明るい希望と夢にあふれた、最上の時間であった。だが、運命の1914年が遣って来る。そして、この戦争は古き良き文明のずべてを打ちこわし、ツワイクが育った夢の帝国は、根底から崩壊してしまうのである。彼の人生は、青年期の誠に幸せな時代、脆くも打ち砕かれた文明の中年期、過酷で苦しみに満ちた老年期、という図式が成り立つのではなかろうか?この様な人生に、めぐり合った彼の心は、たぶん、張り裂けんばかりであった事であろう。19世紀の末に生まれた、すべての人がこの運命を、否応無しに背負わされたのである。第一次世界大戦の、真の仕掛け人はブリテンである、ヨーロッパの列強を混乱に落し入れて、自国の優位を画策した。ただ、これを仕組んだ政治中枢が、是ほどの人命と文明の破壊に、つながるとは恐らく思っても居なかった事であろう。
人間とは愚かなものである、戦争という事件は枯れ草の山に、火の付いたマッチの一本を投げる行為である。軽い気持ちで行なった謀略行為が、手の付けられぬ大火に燃え広がり、世界を燃やし尽くしてしまう事に気づかない。第一次世界大戦の始まりを、ツワイクは、自分の知的世界と比較して、この様に書いている。
「1914年の夏は、それがヨーロッパの土の上にもたらした、あの禍がなくても、同じように我々にとって忘れえぬ夏であったろう。空は毎日毎日、絹のように透明な青で、若緑の森が鬱蒼と茂っていた、あのバーデンで過ごした輝く7月の日々を思い出す。バーデンでの最後の日、わたしは一人の友人とブドウ畑を通って散歩した。道の傍で仕事をしていた、一人の年老いた葡萄作りが我々にこう云った。(こんな夏はすいぶん前からありませんでした。このままでゆけば、いつに無いよい酒がとれるでしょう。そして、この夏のことを人々はきっと忘れることはないでしょう)酒造りの青い仕事衣を着たその老人は、何と言う怖ろしいまでの真実を、この言葉によって口にしたかを知らなかったのである」
「一ヨーロッパ人の回想」という副題であるが、ツワイクはそういう意味では、オーストリア人という枠を超えて、ヨーロッパ人という、呼び名が相応しいのであろう。気丈に書いては居るが、そこには失われた良き文明の終焉に打ちのめされた心が見える。上流のユダヤ系市民に生を受け幸せな少青年時代を過ごし、彼はそこでギムナジウムから大学に進み哲学博士の称号を得る。そういう爛熟した文明の体現者の一人であった。幸福な時は終わりを告げ、オーストリアとドイツの没落をみる。ワイマール共和国という坩堝は、やがて、その中からフランスとブリテンに深い恨みと憎悪をたぎらせた狂信的国民運動が燃え広がる。ドイツの汚名をそそぐ為と称するこの国民運動は、敗戦の原因の一つがユダヤ人の裏切りであったという偏見を拡大し大衆の憎しみを煽った。
第一次世界大戦は、ドイツ・オーストリアの皇帝を廃棄し、ロシアはロマノフ王朝が没落しレーニンの革命まで起こる変化を見せた。第二次世界大戦の主原因は、この第一次世界戦争にある、ブリテンは法外な戦争賠償金を請求し、ドイツは未曾有のインフレーションに苦しむのである。そして混乱したワイマール共和国の中から、憎しみを満身にたぎらせた国家社会主義ドイツ労働者党が出現して来るのだ。これは、ツワイクの人生の決定的な分水嶺なのであり、後年の苦難の始まりでもあった。南米で自死した生涯は、大東亜戦争の後、戦乱に巻き込まれた事の無い、わたし達に、ベトナム戦争をはじめ、中東戦争、湾岸戦争、イラク戦争、等の、世界戦争が如何に多くの可能性に満ちた、いのちを無に帰しせしめ、文明を崩し去るものであるかを、改めて思い起こさせる。今も、ある国は、民主主義と文明を、口にしながら、世界中に戦争を仕掛け、野蛮と殺戮を拡大し続けている。
国境と民族の違いを超える思想の探求者
★★★★★
19世紀末の古都ウィーンに生まれた著者は、時代が大きな転換期にあることを少年の敏感な感性でいち早く察知し、保守的な故郷を去ってベルリンで早熟な文学的才能を発揮する。やがて、ロマン・ロラン、リルケ、ヴェルハレン等、当時第一級の文学者と親交を結んでその思想に親しむ一方、広く旅することによって国家と民族性のイデオロギーに縛られたヨーロッパ諸国民の実態を知り、それを乗りこえる普遍的思想を追究する。
しかし、第一次大戦が勃発すると、一般大衆のみならず、有力な知識人の大半が自国中心の「愛国」主義に立て籠もり、理性の眼を閉ざすその頑迷さに、ほとんど絶望する。ユダヤ人である彼は、帰るべき故郷をもたず、大戦後いかなる場所にも定住せず、脱ヨーロッパ中心主義の立場に立って「自由」と思想の普遍性を求めて漂泊者の運命をあえて選ぶのだ。
彼が予測したとおり、旧弊なイデオロギーと覇権主義を克服できないヨーロッパは、1930年代に新たな戦乱へと急速に進んで行く。それを見守る時代の良心とも言うべき証言者の自伝である。ヨーロッパを去って南米に移住し、遂に自殺した彼の「警告」は、今も切実である。
ツヴァイクの本、良いのにあまり本屋で見掛けない。
★★★★★
「皆さんは生きて黎明を見届けて下さい、あまりにも気の短い私は先に行きます」との遺書を残し、世界大戦に絶望して自殺したツヴァイクの自叙伝。ただの告白本ではなく、大戦前夜のヨーロッパを冷静な目で見据えた歴史評論でもある。当時のヨーロッパの風習なども書かれているので、そのころの時代の雰囲気を知るには最適な一冊だろう。最後の1行がせつなく、感慨深い。