時代と対決する思想者の声
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第一次大戦への避けがたい時代の動きは、政治家の領土・覇権獲得への野心と、企業家の利権優先のエゴイズムによって作り出されたが、ツヴァイクは、ヨーロッパにおける思想の普遍性を妨げる要因は、文明と技術の進歩、自然の開発と利用を当然とする価値観、白人の有色人種に対する偏見と差別意識、及び一般大衆の旧弊なナショナリズムにあると考えた。大戦中は故郷ウィーンにあって、戦意昂揚の渦巻きの中で戦争拒否の意志を無言でつらぬき、「非国民」の扱いを受けて孤立した。故郷において「追放者」の身分におかれるのは、他国において迫害を受けるよりも耐えがたかった、と後に彼は述べている。
大戦後、ツヴァイクは故郷を捨て、ヨーロッパ各地を移動しながら漂泊者の道を選ぶ。「脱ヨーロッパ中心主義」に自分の思想的立場を位置づけ、後半生の活動を再開するが、早くも1920年代の半ば、不気味な黒い影が地平線に現れ、またたく間に巨大な怪物的姿が迫ってくる。ヒットラーとナチスの台頭である。1934年から短期間ロンドンに住み、最晩年のフロイトと親交を結び、自分たちユダヤ人の運命について語りあう。時代と対峙して、自分の学問と信念に忠実であろうとするあくなき真実の探求者と、その壮絶な死との闘いに立ち会う。しかし英独の対立が露わになり、「敵国人」の嫌疑をかけられるのを避けるため、英国を退去して南米に移住。再婚した妻ロッテとともに、1942年2月に服毒自殺する。「ヨーロッパ時代」の終末期の貴重な証言者であり、そのメッセージは60年後の今、ますます切実味を帯びてくる。