ドイツのノーベル賞受賞作家ヘルマン・ヘッセの1919年、42歳の時の作品。
戦間期という時代の変わり目、それまでの価値観や世界観が内側から密かに崩れ出す予兆に満ちた社会にあって、同時に個人生活においても人生の転換期をむかえ苦悩していたヘッセは、心理学・精神分析への関心を深め、その後さらに仏教や東洋哲学へ傾倒していくが、この作品にはヘッセのたどったこのような精神的な遍歴が青年シンクレールの自己探求の物語に姿を変えて記されている。
当時の上・中層階級の欺瞞的なブルジョア的、キリスト教的な世界観は、旧弊なだけでなく、荒波のような現実世界に浮かぶ小さなあぶくの様にもろくて空しかった。ヘッセは家庭環境や社会の変動の前にいとも簡単に崩れ去った自分自身の幸福を目前にして、そのような状況に左右されるのではない、常に強く美しい「新たなる理想の青年像」を模索した。
シンクレールが自己の超自我ともみえるデミアンに導かれ、親の世代からの過去の世界観によって抑圧されていた自己を解放し、さまざまな暗示や象徴を手がかりにして無意識の世界に埋もれた「本来の自己」を発見していくプロセスは、精神分析のそれそのものである。一方そうやって見いだした「理想の青年像」は瞑想、「気」、陰陽など、東洋思想の影響を思わせ、輝くばかりの生気とパワーに溢れている。 <高橋氏の訳は現代的な語感が親しみやすく、非常にこなれた訳。ただ、第1章第2段落冒頭は誤訳かなと思う。比較的、文字が大きいので、字の小さいのが苦手な方はよいだろう。(小野ヒデコ)
鳥の形をした自由。内面を抉る嘴と繊細で規則正しい外面から成る
★★★★★
小さな嘘はシンクレール少年の生活を天国から地獄へと一変させた。それを助けたデミアン。そして彼の存在により、絶えず抱いていた
シンクレールの明や暗、善や悪といった二元的な葛藤は急速に育まれる。さまざまな出逢いを経て、神に見守られ、悪魔に誘われて、、
ついには、その境界線は取り除かれる。それは結果でしかないからだ。過程を求める。究極的な過程。
自分を見て、自分を聞いて、自分を読んで、自分を演じて、自分を...自分自身こそ天職だと悟る。
デミアンとして存在させる概念は自由に違いないが、ひどく内面的で神経質だ。自己ではなく他者の精神をシステム化させる。彼の母親に
したってそうだ。率直で鋭いが、ある種の自己嫌悪を誘発させる。じつはこれは道理の意味で、強制せず合理的で、正直で豊かな抒情性を
有するヘッセの自由さとは対極の気がする。
非常に漠としたシンクレールという主人公であり世界において、デミアンが与える影響を、さらに冷然と見つめる作者を感じてしまう。
物語のラスト、戦争の勃発と付随させたデミアンの決意は何か象徴的。穿って見ればあてつけ。
デミアンは救世主とも悪魔ともとれる。だが結果としてどちらの自由も同じと説くこの作品。収束するところはいっしょ。
ただ過程は千差万別。誰でもシンクレールになる。おちいる。それを見つめる作者の眼差しは温かい。それこそ。
徹底して求道した末に神が与えた実りの果実のような一冊。だがこのタイトルが意味するもの。その皮肉。でも一番簡単な皮肉こそ
往々にして辿り着けない。初めて読んだ時、いや何度でも、そうきっと、この作品を創造した人こそ天才。そう。きっと誰もが救われる。
翻訳がかなり読みにくい・・・
★★★☆☆
同じヘッセの作品の「シッダールタ」と一緒に読んだんですが、こちらのデミアンだけかなり読みにくかった。翻訳された年代のせいだろうか?シッダールタは1971年でこちらは1951年(!)の翻訳そのまま。
完全に途中で挫折してしまい、岩波文庫の訳を読んでなんとか読破できた。
たとえば最初の一行目からよく分からない!
「私は自分の中から一人で出て来ようとしたところのものを生きてみようと欲したにすぎない」
重要な一節なので読み終わった今では簡単にその意味が分かるのだけど、最初は「ひとりで・・ところのもの・・・うーん・・」って感じで、何回か口に出して暗唱までしたのだか、さっぱり分からなかった。しかし岩波文庫の訳を読んだら0.1秒で理解できた。
他にも「格調高い」っていうよりガチガチな翻訳の部分がちょこちょこ見られた。シッダールタの方は「美文」って感じを受けたのだが。
とりあえず読んだことない人は本屋さんで最初の20pぐらいを読んで、読めそうだったらこの高橋氏の訳で読んでもいいと思うが、無理そうだったら岩波のほうも手に取ってほしい。
岩波文庫デミアン
「デミアン」の内容は言うまでもなく素晴らしかったのでぜひ若い人には読んでいただきたい。
成功作か失敗作か、私は失敗作だと思う
★★★☆☆
主人公がデミアンと出会い、放蕩や苦難を経験しつつ成長していくまではいいんです。それが、エヴァ夫人と知り合ってからは「なんじゃこりゃあ」です。
前半の、感性豊かな描写の世界が、後半からは眉唾ものの思想の叙述。
思想的に納得できないわけではないけど、小説として思想を展開するには、なんか練り上げが足らないと思います。
でもいいところは確かにあります。以下に引用。
「各人にとってのほんとの天職は、自分自身に達するというただ一事あるのみだった。詩人として、あるいは気ちがいとして終ろうと、予言者として、あるいは犯罪者として終ろうと・・・それは肝要事ではなかった。実際それは結局どうでもいいことだった。肝要なのは、任意な運命ではなくて、自己の運命を見いだし、それを完全にくじけずに生きぬくことだった。」
精神的な成長のヒントになりました
★★★★★
精神的な成長のヒントを探している人にお勧めの一冊です。七田眞氏
が自伝的小説「魂の遍歴」の中で幼少の頃、何度も読み、影響を受けた
と語られていたので手に取りました。
私にとっての大いなるヒントはP220〜P222にありました。「自分の信じ
ない願いに身をまかせてはなりません(中略)でなかったら、それを完全
に正しく願わなければなりません。自分の心の中で実現を確信するほど
に願えるようになったら、実現もすぐです。」
私の心の中でくすぶっていた小さな気付きが、ヘッセの言葉で芯の通った
大いなる確信に変化しました。
ウルトラマンとデミアン
★★★★★
ヘッセの「デミアン」で語られる謎のアブラクサスという神は、キリスト教によって悪魔とみなされていたものだ。中世には異端の神となった。「デミアン」の名もデーモン(悪魔)から来ている。主題は神と悪の融合にある。事実、ナチスに対するこの後のノーベル賞作家の戦時中の態度はあいまいだった。ある時はナチスのお友達みたいに誤解されかねないものまであったらしい。ヘッセを弁護するなら、結局ドイツは徹底的に破壊されない限り反省して新しい希望の国を建てられないと思ったのかもしれない。何より恐れがあったのかもしれない。これを日本にあてはめると、水戸黄門の勧善懲悪や、現代で言えば、もろもろの警察や司法に関する日本の常識と世界の常識の違いだろう。ウルトラマンの正義を叫ぶ5才の子供と同じようなことをしていると文化程度を疑われる。ところで、「デミアン」はグノーシス(2世紀頃のギリシャの宗教運動)の秘密結社のことだとも言われる。ヘッセのいうアブラクサスもこれと関係するようだ。フリーメーソンが新しい時代の幕開けの触媒として作用した例に17世紀のオランダの画家・フェルメールがいる。詳しくは「宇宙に開かれた光の劇場」上野和男・著を読むことをお薦めする。ヘッセは仮面を被って身を守ったと思うのだが、この”仮面”と関連して同じ著者の「縄文人の能舞台」という本もお薦めしたい。