成年後、将来の見通しをあらためて考えるようになったあなたに
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大作ではないけれど、ドイツ人作家らしい叙情性に満ちあふれた、珠玉の作品だと思います。
作者であるヘッセと、作中人物であるクヌルプの間にある距離感は独特です。
ヘッセは、野に咲く花や、木陰を描くのと同じように、クヌルプを描いています。
本書は 3 部構成となっていて、第 1 部「早春」では青年時代のクヌルプが描かれ、第 2 部「クヌルプの思い出」では青春時代が、第 3 部「最期」では、40 歳を過ぎた晩年のクヌルプが描かれています。
第 1 部、第 2 部では、クヌルプの魅力が美しく描かれています。クヌルプは、あるがままの自分でいようとした結果、社会から孤立してしまった人で、ある種の高潔な精神から、青天井のもとで生きることを決意した流浪者です。クヌルプは、生まれもった端麗な容姿と、機智、才覚でもって、行く先々で友人や娘たちを楽しませます。友人達はクヌルプのたまさかの来訪を歓迎し、温かい寝床と食べ物とを喜んで提供してくれます。
しかし、青春時代の黄昏をすぎた頃から、友人達はもっとまともになれよとクヌルプに忠告するようになります。クヌルプは友人の忠告に従おうとはしません。また、なぜ自分がそうであるのか、そうなっているのか、その理由を話すこともしません。自分の孤独の原因が、自分そのものの中にあることを知っており、友人に話しても、本当のところを分かってもらえないことが分かっているからです。
第 3 部では、クヌルプは肺病に蝕まれています。クヌルプは、もはや、以前のように駈けたり、踊ったりできません。すでに自分の死期が近いことを悟っているクヌルプは、故郷に帰ることを熱望し、自然と、それに連なる思い出との対話を繰り返します。さて、ここからがヘッセの真骨頂です。流れるようにして、クヌルプと神様との対話がはじまります。他のレビュワーの方も書いている通り、神様とクヌルプとの会話は、美しいの一言です。
大学生の頃に読んで好きなった作品ですが、それからおよそ10年たって読み返してみて、初めて読んだ時の倍くらい感動しました。仕事に就いてみて、それなりに経験を重ね、将来の展望を改めて考えるようになった今、クヌルプを読み返す機会をもてたことに、誰ともなく感謝したい気持ちになりました。
個人⇔社会のコントラスト、その両岸の美を照らし出す。
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ヘッセのなかでも傑作だと思う。個人的にすばらしい心揺をもたらす物語だ。クヌルプの帰郷は、個人と他人、自己と社会を対比的にとらえながら、そのいずれも美しく照らし出す。美尊、凡惰をただおきざりにするだけでなく、両者のそれぞれの現実を美しいものへと昇華させている。その面においてまぎれもなく文学なのであろうと思う。この両者の出会いは、ロマン性と現実の和解にほかならない。それこそ人生の剥き出しのありようにほかならないのだ。クヌルプ―――はそれを思い出させてくれる。
己自身のあるがところのものとなれ
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確か18歳くらいの時一度読んでから忘れられない作品となりました。 ヘッセの小説の中ではマイナーなのかも知れませんが、珠玉の名品とはこういうのをいうのではないでしょうか。 この物語についてだけは理屈であそこがいいだのどこが優れているだの分析するのは無用の長物で、読んでただひたすらヘッセの想いを感じとって欲しいーとしか言いようがありません。
センチメンタリズムと言えばそうなのかもしれませんが、あのラストのクヌルプと神(ヘッセは東洋思想にかなり傾倒していたようですが、なるほどこの作品における神の描写は、東洋人にとって親しみやすい慈愛に満ちた人格神として描かれているのが異色です)の対話の美しさはどうでしょう。 変なたとえなのかも知れませんが、立派な人間になりなさいだとか、人生の成功者にならなければならないーという肩肘張った人生訓の対極にある思想がこの作品のクライマックスには描かれていると思います。 自分自身を静かに見つめ直してみたい人、あるいは単にせち辛いこの世の中からほんの一瞬でも息抜きできればーと思っている方には断然お薦めです。
いつかまた旅先で読みたい本
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中学生時分にはじめて読み、以後幾度となく読み返しているが、恋愛や生活や、あらゆる平凡にして日常的な時間に「意味」を見出せたのはこの本のおかげだった。これほどの力をもった短編は、これきりお目にかかったことがない。すべての人生には意味や目的があり、またそれを支え紡ぎ合う他の人生があることを教わった。正確には“そう考え、感じる”ことを教わった。すべての家々の灯りに人生があり、すべての人が主人公として心に宇宙を持ち、事実は1つでも、心にある真実は人の数だけ存在することを教わった。誰かと関わり、誰かを愛し、独りで死んでいく人間の「生」の意味を考えたい人にお薦めします。大切な人生を送り終えたような読後感から現実に引き戻されたとき、きっと全てを大切に敬い、誰かを愛したくなると思います。
さすらい人
★★★★☆
ヘッセの描く男性はいつもわたしを魅了するのだが、このクヌルプもまた相当に魅力的な男なのであった。
後に著された『シッダールタ』同様、旅のうちに一生を終えようとするクヌルプ。家庭を持たず、定職を持たず、気儘な漂白の中に暮らす彼を知人たちは呆れつつ、しかし彼の抗いがたい魅力の前では彼を愛さずにはいられないのだった。
果たしてクヌルプは本当に気のおもむくままの身軽な心持ちであったのだろうか?
ラテン語学校を退学し、漂白の旅に出るきっかけとなった初恋への失望-もしかしたら、その初恋の女性の裏切りにより、彼は他人に失望することを恐れ、深い人間関係を避け、冗談と陽気な戯れにしか人と関わろうとしなかったのではないか。そして、自分の心のみを深く掘り下げ考えていたのではないか。自然の風景、汚れなき子どもに美徳を感じるクヌルプ。彼の透明な純粋さはそんな彼の心持ちから現れ出ているもののように感じられる。
最後までひとりの孤独な旅人として人生を終えようとするクヌルプ、それは自分自身への罰のようにも見えるし、また、何かの答えを求めている修行僧のようにも思える。。シッダールタの最後のシーンのように求め彷徨った魂に「存在する意味と許し」がもたらされるまで、ドイツの美しい田園の四季をわたしの心も彼と旅をしたのであった。