神武東征伝承の再確認
★★★★★
天照大御神の治められた高天原は、北九州(今の甘木市のあたり)にあった。中国史書の伝える邪馬台国女王卑弥呼は、天照大御神にほかならない。この高天原の勢力が天照大御神の孫の孫神武天皇のとき大和に進出して樹立したのが大和朝廷である。これが安本氏の年来の主張です。
安本古代史学の特色は、客観性を担保するため、数理的方法を導入したことです。たとえば、高天原の位置を推定するにあたり、記紀に登場する地名の一覧表をつくり、北九州の地名が圧倒的に多いことを指摘したうえで、高天原と出雲の位置関係を記紀の説話から検討し、高天原は出雲の西でなければならないと結論します。説得力のある話の進め方です。
安本氏は、天皇家の系譜を正しいと仮定したうえで、歴代天皇の在位年数を調べ、統計的手法を駆使してその在位期間を推定した結果、天照大御神と卑弥呼の時代がぴったり一致しました。そして記紀の高天原の記述と魏志の邪馬台国の記述を比較し、共通点が多いとして、卑弥呼を天照大御神と認定します。
邪馬台国東遷説は目新しい説ではありませんが、統計学を使った年代の推定は安本氏の新機軸であり、説得力が高い。わが国の古文献、中国の史書、考古学の成果を総合的に考察した安本説は、客観性の高い傾聴すべき学説です。