笑いの元の平等
★★★★☆
モンティ・パイソンなどを見て、ちょっと笑って良いのか戸惑うとき
があります。
そんなとき、どうも日本とはタブーが大分異なるようだ、と思っていま
したが、その疑問に答える一冊でした。
笑いの元には、生も、死も、貴賎も問わず平等。
ここまでやられるといっそすがすがしいです。
英の方が米に比べて屈折してる
★★★★☆
感じられるか?
笑いってつまるところはソレだね。
著者はそう言ってるのだろう。
どうして面白いっていうかとぉ〜、そんな「笑い」に対する説明なんて聞いてみたところで、糞面白くもなんともない。
そのことは、著者自身は知っているもんだから、その類の説明をしていて途中で飽きちゃう。また、肝心のこととかもそれほど説明せずにやめちゃう。
でも、それが程の良さってやつ。
イギリス風のユーモアでもあったりするんだろうな。
この本は、web上の知り合いがレビューを書いていたりしてたので、読む気になった。それに笑いに関しては、やはり英の方が米に比べて屈折してる感じがあって、それが深みのようにも感じられるからね。
ここ、泥としては、著者と同感なわけだ。
そういえば、以前、ギャグが成立するには3人の人間が要るっていう話を何かで読んだ。
一人は、ギャグを言う人間。
二人目は、そのギャグを聞いて笑う人間。
三人目は、そのギャグが分からない人間。
それを、階級社会と云々とか、知識の保有量の差で云々とか言い出すとツマラナイ。
著者の笑いに関する結論めいたことが、早くも44ページに書いてあったので、以下引用。
▼
私は笑いの手前の動機の部分よりも、そのあとの部分、その効果に関心があるのだ。人生は何かを笑って終わるわけではない、笑ったあとにも人生はある。
▲
引用終わり。
というわけで、満点の五つ★からひとつ欠けているのは、笑えない例も多々あったため。
そうそう。
人って、ギャグにおける3つの役回りをテキトーに持ち回りしてるんでしょうね。
笑いの効果には個人差があります
★★★★☆
ミスター・ビーンのような誰もが笑える普遍的な笑いを除けばイギリスの笑い感覚は我々日本人には理解しにくいが故に、文化としての笑いを語ることは難を要する。英文学の雄、富山氏が重い(軽い?)腰を上げ、一般読者にイギリスの笑いを語ってくれたことにまず言祝ごう。国(国王・女王)、政治(家)、宗教(家)、階級(主人と執事)、戦争、性(ゲイ)などなど、一見散発的な語りに見える本書は、イギリス文化を語る際には欠かせないテーマ群を中心にゆるやかに構成されている。イギリスの人間関係の基本は笑いとユーモアにあるとする著者は、18世紀から現代の様々な文化媒体を通して、笑いの本質を効果として醸し出す。効果と言ったのは、ややもすると本書は、笑いとユーモアの羅列に見えてしまうからだ。イギリス的とも言える笑うに笑えない酷な例からバカバカしいものまで、この笑いの羅列に最後までついて来れる読者はイギリス好きかユーモア好きかだろう。効果と言えば、著者の笑いの文化のもう一つの狙いは、既成の笑い論を変えること、つまり、何故笑うかという動機ではなく、笑いがつくるその効果にこそ笑いの本質があるということだ。この点だけとっても、文化としての笑い考への貢献と言える。「この商品の効果には個人差があります」とカバーの端っこにでも載せていれば、この本の効果もっとウィットに富むものとなったであろう。
余談になるが、この本で富山氏が変わったと思う人もいるかもしれない。富山氏独特の語り口調がこの本では見られないからだ。テーマが笑いであり、しかも一般教養読者向けに書かれているということが氏の語り口調を変えた原因か。いずれにせよ、(慣れない?)読者サービス故に、著者の熱き想いが(やや)空回りしていることは否めない。ややもするとイギリス文化を新書に書き散らしている三文文士(学者)の口調に似てきてしまうと感じるのは私だけだろうか。