死と隣り合う不思議な世界から抜け出せなくなった人の物語
★★★★★
著者の作品には、生と死・過去・記憶が様々な形で関わってくるが、本作はそれらを真正面から受け止める物語だ。
博物館技師の「僕」がアンネ・フランクの日記を傍に置いていることから、著者がアウシュヴィッツで見たユダヤ人のメガネの山、靴の山、髪の山を見たことや、アンネ・フランクの日記自体拾われた形見であることが本書執筆の動機になったのだろう。
アウシュヴィッツのような極限状態でなくても、人は必ず死に、一見価値がないものでもその人が生きた証を残すはずで、そのような「形見」は永遠にこの世に記録されるべきであるという信念の下、「僕」たちは、この世とあの世を隔てる沼の渡し船の漕ぎ手であり続けることを甘受したかのように行動する。描かれるのは死と隣り合う不思議な世界で、本書は日常的な死を巡る冒険談だ。
なお、ミステリーの要素があるが、多くの人は途中で犯人がわかるだろう。しかし、犯人がわかっても予想外の展開を求めて最後まで読ませる筆力はさすがだ。
ちょっと厳し目の評価ですが
★★★☆☆
正直、今まで読んできた小川洋子作品の中で一番読みにくかった。小川作品のいいところは、荒唐無稽とも思われるような設定に、読者をうまく引き込んでいくところにあると思っている。
しかしこの作品はいまいち入り込むことが出来なかった。私の集中力のなさが原因だったのかもしれない。しかし、今までの作品と比べるとやはり読みづらかったのは事実だと思う。
描かれているモチーフは基本的に他の作品と同じだ。なので、小川作品独特のグロテスクさを求めている人は十分楽しめることが出来ると思う。
幽霊のような僕がいる
★★★★☆
物語の舞台は非現実的な仮想空間である。町には人が住んでいるリアリティがない。多くの人が生活しているがその人たちにリアリティがない。主人公と主人公を取り巻く人たちだけが生き生きと活動している。リアリティがあるのだ。主人公が成し遂げるように命ぜられていることは、あまりにも馬鹿げていてありえないことなのに。その主人公の行動をすぐそばで眺めている僕がいる。まるで幽霊のように。彼らはすぐそこにいるのに話しかけることも、触れることもできない。映像でたとえるなら、背景である町全体はモノクロームだが、主人公たちだけが総天然色なのだ。何故こんな印象を持つのか。なぜ彼らを通して自分自身を見つめてしまうのか。ちょっと不思議な作品でした。
唯一無二の博物館をめぐって
★★★★☆
村人たちの形見を保管・展示する博物館作りのために雇われた技師の「僕」。その名は「沈黙博物館」。依頼主は偏屈な100歳近い老婆だった。
収蔵庫には彼女が11歳の時から盗み集めてきた多数の品々があった。一般的な意味での形見ではない。肉体が存在した証拠を「最も生々しく、最も忠実に記憶する品」。ある死者にとっては糸巻き車、または金歯、手袋、避妊リング、犬のミイラ、臍の垢の塊・・・ 展示に先駆け、それら膨大な量の形見を整理・記録する作業が行われた。老婆は驚くべき記憶力で「文脈の乱れも、矛盾も言い間違いもな」く、形見の背景を物語っていく。沈黙の対極にあるような饒舌さ。老婆に完璧に語り尽くされることによって、形見は真の沈黙を獲得し、博物館に収まることを許されるかのようだ。
一方この村には、「沈黙の伝道師」という人たちがいる。完全なる沈黙の中で死ぬことを理想とし、村人に敬われる存在。形見に沈黙を与える老婆の饒舌は、伝道師の行う「沈黙の業」の代替行為にも思われてくる。
沈黙に敬意が払われる村・・・。沈黙博物館は死者が出る限り拡大する。別に言えば村人(形見)は沈黙博物館の展示品の予備軍であり、さらには博物館のために村人が存在するような奇妙な混乱さえ覚える。
技師は一度逃亡を試みるが失敗し、結局は村に留まり老婆の後を継ぐ。この閉じられた世界。饒舌と沈黙、至極現実的な博物館作りの工程と展示物の特異さ、冷ややかさと牧歌的な面をあわせもつ村、様々なものがないまぜになった世界をぜひ覗いていただきたい。読み終えたとき、何が残るだろう。わたしは難物の老婆が愛しくてたまらなくなっていた。
博物館は縮小なき拡大、増殖し続ける永遠を義務づけられた、気の毒な存在
★★★★☆
舞台は、主人公が博物館技師として面接に訪れた長閑な村。
そこで館長たる老婆の面接を受け、無事技師としての任を命じられる。
しかし、そこに収蔵され展示を待つ物は、
持ち主の存在を最も生々しく、最も忠実に記憶するような品。
つまり、他の博物館のそれとは存在の理由が大きく異なっていた。
過去、村で起きた殺人事件は一つだけ。そんな村である日一人の死者が出た。
技師に老婆からの命令が下される。死者、外科医の遺品としてメスを取ってくるようにと。
こうして沈黙の収集、蓄積が始まりを告げる。
主人公が降り立った無人駅。秋の終わりを悲しみ、穏やかな春の訪れを願う泣き祭り。
大事な秘密を語ると絶対にばれないと言われる、自身は黙して語らない沈黙の伝道師。
それらの存在が浮かび上がらせる村の静かな佇まいは、「密やかな結晶」に近いものがあります。
物語は「沈黙博物館」というタイトルが表すように、静に、
そして展示品を扱うように酷く丁寧に紡がれて行きます。
作中にこんな一節があります。
「博物館は増殖し続ける。拡大する事はあっても、縮小する事はありえない。
まあ、永遠を義務づけられた、気の毒な存在とも言えよう」
老婆が語る博物館論なのですが、言われてみればもっとも。
それまで考えた事も無かった博物館のあり様について
意識させられる、興味深い捉え方だと思います。