クリスチャンにこそ読んでいただきたい
★★★★★
まず(星五つをつけておきながらこんなことを書くのは何だけど)本書の邦題は、忘れていただきたい。キャッチーな題名としてこういう付け方をしたのだと思うけれど、この題名では、クリスチャンが手を伸ばすことはまずないと思う。このことだけは残念なのだけど、それでも僕は、この本に星を五つ付けたいと思うのだ。
著者は、この本を半ば自叙伝的なものだと書いているけれど、確かにこの本には二つのテーマがある……ひとつは本文批評学に関して。もう一つは、聖書学を志した聖書根本主義者(いわゆるファンダメンタリスト)であった著者の宗教観を変えたもの、である。
本文批評学に関して言うと、僕はこの本以外に、全くの予備知識なしで読んで、聖書文献学、特に著者の専門分野である新約聖書の本文批評学に関して、これ程とっつき易く、また誤謬を生まずにその成果に触れられる本を知らない。そういう意味で、この本は革命的な一冊と言っていい。ぜひ、クリスチャンにこそ、この本を読んでいただきたいと思う(ちなみに僕はカトリックで、批判的聖書学の恩恵には与っている方だと思っていたのだけど、いやいや、やはりこの本は目からウロコの一冊でしたよ)。
そして著者が「自叙伝的だ」と言う理由でもある、もう一つのテーマだが、このテーマは著者の『破綻した神キリスト』(同じ松田和也氏の訳で柏書房から邦訳版が出ている)に至る重大なテーマである。もともと、ボーン・アゲインを自認する、ガチガチの聖書無謬性の信奉者であった著者は、聖書学の研究者となる過程で「聖書は人間の書いたもので、しかも時代と共に無数の改竄がなされている」という事実を受容せざるを得なくなる。このプロセスは本書の最初の方に、青春時代を回顧するが如くさらっと書かれているけれど、これは著者にとっては「ボーン・アゲイン(彼らは宗教的「生まれ変わり」の経験をバックボーンとした信仰を持つのだが)」と同じ、あるいはそれ以上の衝撃であったことは想像に難くない。この変容は、上述の『破綻した神キリスト』においては、プラクティカルな神義論への問いかけ、そして遂には「不可知論者宣言」つまりは神への帰依を放棄するという結末に至るのだが、本書においては、ひとりのボーン・アゲイン(おそらくアメリカでは全人口の2〜3割を占めるはずだけど)信者が文献学的事実から、聖書とその世界をどう受容していくことになるのか、というプロセスを、著者は率直、かつ鮮明に示している。
これらのテーマとそのアプローチからも、この本は是非多くの方に読んでいただきたいと思う。題名で「あー聖書のトンデモ本がまた出たのか」とお思いのあなた!そうじゃないんです。是非読んで下さい。
よい本だ
★★★★★
題名が題名だけに、「トンデモ本かも…」と思いながら読み始めましたが、良い方向に期待は裏切られました。
学術的観点に基づき、しかも、平易な文章で時にユーモアを交えた展開。
現在、我々が手にすることができる新約聖書のどの部分が後からの追加もしくは変更で、どの部分が怪しいとされているのかが分かります。
また、各福音書が描くキリスト像の違いについても興味深く読みました。
大変、勉強になりました。
新約聖書の興味深い研究書
★★★★★
原本が現存しない文書群からなる新約聖書。現存するさまざまな写本間には多くの異同が存在し、オリジナルの内容を見つけ出すことは現時点ではほとんど不可能な状況のようです。
新約聖書に興味がある人はぜひ読んでいただきたいです。イエスのことに興味があるひとはかなり驚きの内容があるかもしれません。本書で明らかにされる事実は大変興味深いです。
イエスを見てきたかのように語る人、たとえば、スティリアノス・アテシュリス氏(通称ダスカロス)など、過去世でのイエスとの交流の記憶を語るといいながら、その主張は特定の聖書の文言に準拠しすぎていて、現存する新約聖書という文献を前提にしているところが見えてきます。そういったかたがたはイエスの言葉というよりもキリスト教という枠組で語っているのでしょう。
一般的にいっても、文献というのは錯誤や、誤訳、勘違いによる転記、意図的または無意識的な改ざんが含まれるのは、ごく普通に起こりうることです。
キリストについての真実の追求をするのならば、本書で取り上げられた事実を踏まえたうえで論じる必要があるでしょう。(個人的には通常知られている姿とは違うキリスト、その真実が2000年ほどまえに事実上、存在したと思っています。)
グルジエフが伝えるようにキリストやブッダの真実は、後世の人々の知ったかぶりによって、勝手な解釈が加えられ、変えられてしまったのが事実ではないかと思います。
本質を見ている
★★★★★
写本からの改竄問題について、綿密に調査した結果から書かれているので信頼できる内容である。
聖書に対する見方を大きく変える力を持った本であるため、多くの人々に読んでいただきたいと思います。
テクストを扱うすべての人にとっての良き入門書
★★★★☆
『新約聖書』にはオリジナルはもちろんありません。あるのは何百年も後に何回もコピーされたものが写されたコピーだけです。しかも誤謬や改竄でいっぱいの。そうした中で聖書による信仰は可能なのでしょうか。著者は若き日の信仰から新約の本文研究を通じて徐々に脱していったと言います。その意味で、本書は、本文批評の問題に関して簡潔な入門書であるだけでなく(例えば三位一体の教義が聖書に書いていなかったなど、興味深い異文の紹介があります)、新約学者の自叙伝にもなっています。
最後に著者は、テクストを読むことは、結局読者によるなんらかの解釈を伴う以上、必然的に「改竄」の作業でもあると論じています。『新約聖書』が改竄されてきたのも時代時代の信者たちの読書作業によるものだったのです。
いずれにせよ、文献資料を扱う人にとっては必読の入門書であると思います。