これは本書からではなく、同じ著者の「イデオロギーとは何か」からの引用です。本書は、上の線に沿って更に過激にポストモダンを批判した、ということができます。ラディカルを装いながら、現実には現状維持としてしか機能しない保守的なポストモダンへの、少し過剰なくらいの反応です。ただしイーグルトンがやみくもにポストモダンを<否定>しているのでないことは、彼の「文学とは何か」をお読みの読者にはおわかりのはずです(私は「文学とは何か」を<現代思想入門>として読みました。未読の人にはお勧めします)。
もっとも、たとえばデリダは近年、脱構築は肯定する、とか、脱構築は正義である、と言いはじめました。デリダは「フッサール」だと思っていたのに、実は「キルケゴール」だった、聖域なき「構築」改革(?)を行っているものと思っていたら、いつのまにか聖域をつくられてしまっていた・・・。デリダの政治参加に対してイーグルトンは、遅きに失した、と否定的ですが、デリダにも当然再批判する権利はあります(「マルクスと息子たち」)。どちらを支持するにしろ、脱構築もまた「様々なる意匠」のひとつであることも明らかだと思います。デリダは現在進行形だから、というばかりではなく、ポストモダンを正しく評価するにはもう少し時間が必要なのでしょう。サルトルの評価は、30年も経ないうちに大逆転しました。あと30年も長生きすれば、私たちは、現在とはまるで違った「デリダ」を見ることになるのかもしれません。