プロヴィンシャルなアマチュア向けなのか
★★★☆☆
本書は神を信じないドーキンスやデネットの読者に向けて書かれたもの、と思いきやそうでもないようだ。かといってプロヴィンシャルな宗教哲学者や哲学者に向けられたものでもない。訳に関してはすべからくの誤用等も見られるが読みやすさは可もなく不可もなくといった所。 神を世界観として解釈する哲学に対し豊富な文学的修辞の宝庫として提示している。だがアクィナスの世界誕生仮説と世界観の違いがさっぱりわからない。アクィナスをどう解釈すればそう読めるのか。ムージルにはそんなことは書いていない。言語ゲームについて言及した2章でも宗教間の相互通約可能性について理解しているとは言い難い(これは彼の監修した映画ウィトゲンシュタインについても言えることだが)。4章のマルクス主義が居場所をなくし移動した先が神学だったというのは大いに賛同できるし宗教学では常識に属することだが、ナンシーの仕事などをみるにつけむしろ先人が放棄しやり残した仕事を仕方なく行っているといった様子(ナンシーの仕事自体は評価できるがでは何故イーグルトンはそのような仕事を行わないのか)。ただ結論で日本のスピリチュアルブームと同じく、人類が本来の姿をとりもどすと云々いったくだりには落胆の念を禁じ得ない。
イーグルトン対神を否定する人々
★★★★★
文学評論の理論を解説した名著『文学とは何か』のイーグルトンが書いた本作は、
解説書というより、キリスト教擁護の書である。
「神は死んだ」アンチキリストのニーチェからも、
『神は妄想である』のドーキンスからも、
共産党宣言のマルクスからも。オカルティストからも、イスラム原理主義者からも 、
キリスト教を守ろうとしている。
ところで、キリスト教原理主義者からは守ろうとしていないので念のため。
宗教についての不信感しか残らない著作
★☆☆☆☆
宗教とは何かとのタイトルに惹かれて手に取るとがっかりさせられる本。
翻訳によるものか、原文が交錯してるためか不明だが、少なくとも宗教
に関する明確な論議がなされているとは感じられず、衒学的な記述の
羅列としかかんじられない。
信仰は狂気ではなく理性である
★★★★★
現代イングランドを代表するマルクス主義文芸批評家による、邦訳としては初めての宗教書です。
まず、本書は『宗教とは何か』と名付けられていますが、各宗派の教義・信仰形式に関する比較検証や、各派に共通する普遍的価値の解明などを主眼に置くものではありません。本書の仕事は、「科学と宗教」・「学問と信仰」をそれぞれ切り離し独立させながら「科学の中の宗教的部分」や「学問の中の信仰的部分」を抽出し、反目しがちな「科学と宗教」・「学問と信仰」の架け橋を再構築することです。
それは以下の記述 「トマス・アクィナスは〔彼が行った神の存在〕証明によって神の存在が自明のものになるとは信じていなかった(p159)」 にも表れるように「神の存在肯定と信仰心」を区別することであり、別箇所の 「アブラハムは神に対する信仰を持っていたが、しかし、まずありえないことだが、神が存在しないという思いが彼の中に生じたとしても、おかしくはない(p145)」 という文にも認められます。これは科学〔絶対〕主義や信仰〔絶対〕主義から本来の宗教的なるものを取り戻す試みであると同時に、学究(学問、理性)と信仰が根源的に両立するという著者の強い信念の表れでもあり、特に後者は他の人文書籍がほとんど提供しない鋭い視点で新鮮に感じました。
私は未読ですが(本書が批判する)リチャード・ドーキンス『神は妄想である』を「心の底では神を信じきれない負い目を払拭する本」と措定できるなら、本書は「心のどこかで神を信じてしまう羞恥心をやわらげる本」と言えるでしょう。日本人は信仰を持たない宗教音痴だという言葉を時折耳にしますが、キリスト(イスラム)教圏でも度合いは違っても私たちも共感できる内容を議論していることが伺える好著です。
ただ一方、本書はマルクス主義と社会主義に対する著者の信仰告白書でもあり、神学と政治的実践の結合を目指す内容にもなっています。そのため資本主義経済システムへの糾弾、ドーキンスとヒッチンス(併せてディチキンスと略されます)に代表される科学・合理主義イデオローグへの告発や人格攻撃が大部分を占めます。著者の筆舌は快刀乱麻と評される以上に過度であるため、不必要な誤解・黙殺を引き寄せないことを祈るばかりです。
帯を取るとぐっと厳かな雰囲気になる表紙は、他の宗教書は勿論、ジャック・デリダやエマニュエル・レヴィナスへの追悼文集などにもおとらず落ち着きがあり、読者の政治的立場を問わない貴重な主張が本書に含まれていることの一端を表しているように感じました。詳細な索引有。
まっとうな宗教論だが
★★★★☆
カバーの帯には、「それでも神は死なない!」というキャッチフレーズが踊り、「知の巨人・イーグルトンによる画期的宗教論」などとあるが、著者の主張そのものは、もっと落ち着いた、極めてまっとうな宗教論である。
訳文はまさに翻訳調・論文調であり、正確が期されているのかもしれないが読みやすいとは言えない。だが本文のみならず、「訳者あとがき」でも、たとえばp.245には、一つの文が6行にもわたる複雑な文があり、繰り返して読まないと主語が何かわからない。著名な英文学者による翻訳であるだけに、一般読者を念頭に置いた読みやすい文章を望みたい。