こういう本はもっとあってもほしい。
★★★★★
躁病とは何か?本書にでてくる、矢野目源一、元祖無責任男、ポール・N、右翼の児玉邸に突っ込んだMといった話を読んで、思わず笑った。躁病は現代だけかとおもったら、昔からあったとは。しかし、躁病は、軽薄ではあるが、一種の才能を感じさせるところがある。
その特徴を列挙すると、多情多淫、処世において忍耐力に乏しい、常に新事業ばかりはじめたがる、肩書きを得たがる、誇大妄想、衝動的で突発性、喧嘩早い、有名人に会いたがる、自滅指向、人生を行き急ぐ、ピュアである、エネルギッシュ、現実離れした発想、自尊心肥大、活動性の過多、宗教妄想、観念放逸、怒りっぽい、浪費癖、孤独、、、。
こういう人の多い業界はあるだろう。
躁病に関しては、鬱病と違って、類書が少ないため、本書は非常に面白かった。また、『この世のすべては私のもの』もおすすめである。
内容は興味深い。
★★☆☆☆
実際にあった事例などを踏まえて、「躁」について分かりやすく書かれてます。「こういう人いるよね」と共感する部分もあり、すんなり読めました。ただ後読感としてはマイナスで、必要以上に「躁」な人を下にみてるというか、卑下してる感じを受けます。客観的な述べ方で十分だと思います。この著者が「躁」なのでは?と思うと納得出来るのかもしれません。
意図が明瞭でないものに魅力を感じるには、文体に対する親和性が必要だ
★★★★☆
他の方が、以下のコメントをされていますが、同感です。
「本書の記述姿勢が「躁」気味ではないのか ?,」
「著者の意図が今一つ不明である。」
「躁病者の事例を紹介し糾弾するに留まり 、その原因追求、治療方法など具体的アプローチが全くな」い。
しかし、私自身は、躁的な文章を快く読んでしまったのも事実です。
躁は、お酒を飲んだ時の陽気さとは異なり、心の底から心地良い全能感に包まれ、「自分は何でもできる」という気にさせられます。
躁のリアルな人間像を活写することで、「歴史的英雄や社会的重要人物とは、このようなものだったかもしれないな」と文学的な説得力を感じました。
もちろん、文学に付きものな、「だから、何?」という問いから逃れられないでしょうが。
このひとは本当に精神科医でしょうか?
★☆☆☆☆
内容も稚拙で、躁病者の事例を紹介し糾弾するに留まり
その原因追求、治療方法など具体的アプローチが全くなく
読者を不快にさせます。プロフィールには精神科医とあり
ますが、恐らく臨床体験が全くないか、患者を不幸にして
きた事が容易に想像できます。著者がこの作品の中で自ら
心配している通り、恐らくはご本人自身が躁病者でしょう。
これをご覧になったら、自著をお持ちの上、優秀なお方
に受診される事をお勧めします。
一般読者の方は事実を誤認しますので、他を探された方
が良いかと思います。
本書の記述姿勢が「躁」気味ではないのか ?
★★☆☆☆
現代では「鬱病」は良く話題にされるが「躁病」は余り話題に上らない。本書はその「躁病」について考察する事で人間理解を深めようとするもの。「躁」になると明るく元気になる、と言うイメージがあるので、それを戒めようとするものである。「鬱病」を良く「心の風邪」と喩えるのに対し、著者は「躁病」を「心の脱臼」と形容する。
快調な出だしのようだが、著者の意図が今一つ不明である。恣意的な例を挙げては、あの人は"躁病だった"と述べる。世間的に突飛な行動を取ってしまう人への警戒心を読者に植え付けるためなのか、そうした人への救済策を提案しようとしているのか曖昧なのである。また、「躁病」を「鬱病」よりも重い精神病とし、「躁」が昂じると幻覚妄想の世界になると言う。一般感覚と大分異なる。通常感覚では「躁」になっても、せいぜい競馬で大金をスルとか人前で奇行を演ずる程度であろう。戦場心理、ストーカー、家庭内暴力、これらの原因を全て「躁」に求めるのは、精神科医にとっては活躍の場が増すだろうが、個人的には釈然としない。私は「鬱」の経験があり、少し元気になると、今度は「躁」だと扱われ、困惑した経験がある。
「躁病」の治療に関しては、困難と言うだけで余り筆が割かれていない。一般的に、精神科医は人間心理を分析出来ると、自信過剰の面がある。私は精神科学は人間心理を分析出来る程には進んでいないと思っているので、本書の例示・分析にも信用が置けない。第一、本書の記述姿勢が「躁」気味ではないのか ?