1982年・ART PEPPER
★★☆☆☆
3回聴きました。かなり無理をして。
そしてこれを聴くことは2度とないと判断して「売りCD箱」に入れました。
だって、あのペッパーが・・・こんなになるとは・・・
WinterMoonまでは何とか聴けたのですが、これは辛すぎます。
ArtPepperは切れ味の人でした。1950年代から70年代とスタイルの変化はありましたが、いつもそのアルトの音はキレていました。そこが凄かったし怖くもあったのです。
ここでの音はもはや死んでいるとしか言えません。
残酷な言い方かもしれませんが、プレイヤーとしては終わっていたのです。
感傷で聴かれることはペッパーにとっても嬉しくは無いと思います。
ペッパーが好きだった人ほど、これは聴かないほうが良いと思います。
夭折の人、例えばクリフォードブラウン、ブッカーリトル、スコットラファロのラストレコーディングとは訳が違います。コルトレーンのラストとも意味が違います。
歴史的意味? そんなもの・・・ ○○○○え です。
★ペッパーの録音を可能な限りたくさん聴いてください。そうすればこの盤が「聴けない」という気持ちを理解して頂けると思います。
さらばアート・ペッパー
★★★★★
1982年5月11・12日録音。アート・ペッパーのラスト・アルバムである。盟友ジョージ・ケイブルスとのデュオ・アルバムがアート・ペッパーのラスト・アルバムというのもやはり因縁と言うことになるのだろう。1982年はセロニアス・モンク、ソニー・スティット、アート・ペッパーという偉大なジャズ・ジャイアントが没した痛恨の年だった。
人としてのアート・ペッパーを支えたのがローリーであるならば、ミュージシャンとしてのアート・ペッパーを支え続けたのがジョージ・ケイブルスだ。二人は1976年にレスター・ケーニッヒの紹介により出会う。その時のアルバムが『ザ・トリップ』である。アートはジョージ・ケイブルスを『ミスター・ビューティフル』と呼び、競演中にジョージのソロに何度も聴き惚れていた。お互いがお互いを尊敬し合うそういう間柄だった。
『ミスター・ビューティフル』のピアノに乗って、アートのアルト・サックスとクラリネットは自在に変化する。表題曲『ゴーイン・ホーム』はドヴォルザークの『新世界より』の第2楽章の主題をテーマとして用い、エリントンの『イン・ア・メロー・トーン』ではABAB形式の32小節をクラリネットで歌い上げる。そしてその音の行く先はいつものように幸せそうに聴き入るローリー・ペッパーがいる。
ローリー・ペッパーとジョージ・ケイブルスという得難い二人を得て、アートは幸せな気持ちで旅立っただろう。アート・ペッパーは最後にいくほど良い。幸せに満ちたアートのラスト・アルバムをぼくの3,000レビュー目としたい。
アートは逝ってしまった
★★★★★
この盤を最後にアートは旅立ってしまった。「ゴーイン・ホーム」、つまり「故郷」ではなく天国に・・・。相棒のジョージ・ケイブルスとのこのデュオの盤は限りなく美しく、限りなく悲しい。ウエットで情緒的なアートのアルト・サックスはもう聴けない。アートとジョージ・ケイブルスの美しいデュオを聴くたびに悲しくなってしまう。アート、ありがとう(こんな美しいアルバムを残してくれて・・・)。
しみじみと沁みるPepperの遺作、感謝と追悼。
★★★★★
麻薬やアルコール中毒、スランプなどで活動を長く中断したり、大きくスタイルを変えたりしたプレイヤーに対してしばしば議論されるのは、以前と以降どちらをより高く評価するかという問題だ。一方を強く支持したいがために他方を批判しまうのは、あまり褒められた態度ではないけれど、Pepperの場合は明らかにMeet the Rhythm SectionやModern Artなど、せいぜい60年代までの演奏のほうに魂の煌めきを感じてしまう。そこには、他者には決してマネできない唯一無二の創造性があるからだ。
と述べてきたところで、大推薦するのがGoin' HomeとTete-a-Teteとはなぜか。実はカムバックしてからのPepperも結構愛聴していて、GalaxyやArtist Houseなどへの録音は同時代的に買い揃えた。そして晩年、頻繁にセッションを組んだGeorge Cablesとのデュオが本作であり遺作。気心が通じた二人のスタジオ録音は何の問題もなく淡々と進行したに違いない。タイトル曲Goin' Homeのように、Pepperは安寧な故郷に帰ることができたのだろうか。シンプルでストレートなインタープレイが、逆に紆余曲折を経て今に至った波乱の人生を背後に感じさせて心に深く沁みる。