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解読「地獄の黙示録」 (文春文庫)

価格: ¥1
カテゴリ: 文庫
ブランド: 文藝春秋
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いろいろな解釈は勝手だが・・・ ★☆☆☆☆
読了しましたが「そもそもこの映画そんなに深く意図されたもんじゃないだろが」っていうのが第一印象。映画自体は混沌と諦観の小宇宙といった感があり大好きな作品なんですが、公開当時(小生は中学生)はどこかキワモノ映画扱いだったような記憶があります。確かに映画の解釈はそれぞれの観客の勝手であって、いろんな見方があっていいんですが、これはどうかなあ。コッポラ御大は喜ぶんでしょうが。これじゃ脚本のジョン・ミリアス(漢映画一筋野郎)が蚊帳の外って感じでなんか気の毒。
この本を読もうかと今考えている人には町山智浩氏の「映画の見方がわかる本―『2001年宇宙の旅』から『未知との遭遇』まで 」を先に読まれたほうがいいでしょう。
解説者と解説される「映画」との間のパワーゲームの ありか ★★★★★
 最近「闇の奥」を読み返したところだ。その流れで本書も再読した。


 映画「地獄の黙示録」の解説本である。映画の解説本には それなりの限界があることが多い。解説される「映画」と解説する「解説者」との力関係を考えても 前者があってこそ 後者が成立するという点で 普通であるなら 「映画」の勝ちであろう。ましてや本書において「映画」が「地獄の黙示録」という 問題作である以上 そう簡単に「解説者」が イニシアティブを取れるとは思えない。その点において 著者の立花隆は大健闘している。

 「地獄の黙示録」は難解な映画だ。原作の「闇の奥」ですら そもそも 相当難解な作品だ。それをベトナム戦争という現代に翻案した以上 分かりやすくなっていてしかるべきだが コッポラは 全くそのようには撮らなかった。むしろ コンラッドの原作に 更にエリオットやフレーザーを加えて 話を重層化した上で 一種の神話仕立てとしている。従い 立花隆のような方が 解説をしたくなるような 複雑な映画になっている。

 本書を読むことで 映画の理解は格段に深まることは確かだ。但し それは立花流の理解を深めることになるというリスクも意味する。本書を一度読んでしまうと 違った見方をすることが少し難しくなるかもしれない。但し それもそれで自分を試すことにもなるのかもしれない。
立花氏にもっと映画評論をしてほしいと思われる ★★★★★
1980年公開と同時に劇場に足を運んだことを今でもよく記憶している。
ヘリを使用した派手な戦闘シーンとオールバックにしたウィラード大尉が沼から出てくるシーン。
公開前のコマーシャルで大きなインパクトを受けてその興奮も持続しながらの鑑賞であった。
本書にも書かれているが、当時の日本の批評はこの映画を完全に戦争映画と捉えた論調で前半の派手なアクションシーンの割りに後半は退屈な映画になっているとの評価であったが、最初に見た時は正にその通りの感想であった。ただ何か強く心に残るものがあり、その後この映画が話題になる度に新しい発見があったのも事実だ。
初めて本書を読んで知ったことであるが、初回オリジナル版公開当時に書かれている論文で誤訳における微妙なニュアンスの取り違いやキリスト教圏における文化背景の違いという意味でも、数多くの指摘と著者なりの正しい解釈の仕方を指し示している。
オリジナル版公開時にここまで深く読み説く筆者の知識には関心させられるばかりである。
予想以上に面白かった。サイズもGood! ★★★★★
 映画『地獄の黙示録』はオリジナル版を劇場公開時とテレビの洋画劇場と二度に亘って観、「特別完全版」は未だ観ないままであったが、本書を読んで俄然「完全版」も観たくなった。

 本書はまず映画を見ていない人は読むべきではありません。エンディングまで詳しく解説しているので、ネタバレになるからです。かといって映画を「オリジナル版」と「特別完全版」を続けて観るのはなんともシンドイですし、その違いも十分に味わうのが難しそうです。ベストな順番はやはり私の様に映画「オリジナル版」→本書→「特別完全版」でしょう。

 本文庫版は、立花隆の文章の上手さもさることながら、その薄さ、活字の大きさも快適で、スラスラ何の苦労も無く読み進められた上、映画の各場面がアリアリと脳裏に浮かび上がってきて、非常に楽しい読書体験となった。
意外に、食い合わせの妙、あまり発揮されず ★★★★☆
本書はフランシス・コッポラ監督の映画『地獄の黙示録』―コッポラ監督自身曰く「これはベトナム戦争についての映画ではありません。これがベトナム戦争です。」(142頁)―についての、著者の論考である(以下、頁数はすべて文春文庫2004年度版)。全体で三部からなる本書は、計189頁の、立花隆としては小さな書物である。第I部「『地獄の黙示録』22年目の衝撃」は、2002年公開の「特別完全版」についての論評であり、オリジナル版との異動などが、比較的細かく記されている。第II部「『地獄の黙示録』研究」は、1980年公開当時発表された、「オリジナル版」についての論評。第III部「特別完全版」は、「この映画に関してまだ語り足りていないと思われることを様々な角度から語」った、「第I部と第II部の補注みたいなもの」(10頁)。著者によれば、読者に「あの映画について語りたい気持ちでいっぱいにさせたい、というのがこの本の目的である」(13頁)。

著者は、映画が「正当な評価を与えられていない」(67頁)日本の現状を嘆きつつも、「地獄の黙示録」は、「映画史上最も特異的に面白い作品」であり、「内容の深さにおいて、はじめて世界文学に匹敵するレベルで作られた映画である」(10頁)と絶賛する。著者によれば、本映画は多くの文学作品等の引喩を利用しているが、中でも、コンラッドの「闇の奥」とカリスマ的ロック・アーティスト、ドアーズの「ジ・エンド」は相当本映画の思想、話の筋に、細かく、深く取り入れられているらしい。著者は、本映画の特別完全版を特に称揚し、同版に「ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のような作品」(188-9頁)という、最大級の賛辞を与えている。

最後に、私自身の感想を記す。私にとっては、コッポラの作品も、立花の作品も大好きであるから、本書を気に入らないわけがない。だがそれにしては、立花の他の著書と比べると、意外と読書中の高揚感は低かった。私にとっては、「映画と立花」の食い合わせよりも、政治/科学ジャーナリスト立花の方が、より魅力的なようだ。