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「A」 マスコミが報道しなかったオウムの素顔 (角川文庫)

価格: ¥679
カテゴリ: 文庫
ブランド: 角川書店
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“情”治国家日本 ★★★★☆
「A」というタイトル。
本書の終わりで著者が告白するように、ドキュメンタリーの客観性に対するある種の諦めが
このタイトルには表わされている。
ドキュメンタリー映画「A」では、投げやりな筆致で書かれた「A」という文字が、
黒い画面に白抜きで浮かぶ。

なんでも良かった、と著者は言う。
ドキュメンタリーに客観性を持たせることは不可能であるというスタンスを維持しつつ、
自分の目に映るオウムの姿を撮影しようとした。
だが結局最後までオウムという集団の姿を捉え切ることはできなかった。

森達也は作品の方向転換を迫られる。
カメラはオウムの外側へと向けられる。そこには奇妙な人々が映っていた。
自らの正義を決して疑わない人々。コンクリートに頭を打ちつけ気を失った人間を
喜ばしそうに微笑みながら眺めている人々。

オウムに人権はない。悪魔や鬼畜に人権がないのと同じように。
それがまかり通っている。法よりも情が優先される。
感情的に騒ぐだけ騒ぎたて、時が経てばさっぱり忘れる。
それがオウムの外側にある、我々の住む社会の姿だ。

オウムは村八分の集団だった。それが国家転覆を狙うまでの力を持った。
単なる思考停止以上の重大な問題がここにはある。

なんともいえない不快感 ★☆☆☆☆
 市民社会も思考停止、オウムも思考停止。それはそれで結構なのだが、だからといってオウムによる攻撃が正当化されるわけではない。
マスコミ、ジャーナリズムの中で個を貫いて苦闘する俺様が市民社会の悪を暴くぜ、でもオウムはやっぱり謎で別に味方するわけじゃないぜ。
でも市民社会の中で疎外されるオウムの立場には共感する繊細な俺だぜ。職場や学校の中で何か違和感を感じている皆さんなら俺の気持ちを共有してくれるよね。物事を相対化して見られる俺様、オウムと市民社会という二つの思考停止の狭間を戸惑いながら疾走する俺様カッコイイ的な寒さがたまりません。

 この著者はこの本の中で、自分の企画に反対、ないし理解を示さない同僚、上司たちを描写していますが、これはフェアな内容なのか、という疑問も感じましたね。「週末にゴルフに行くような奴」に何がわかるといった姿勢。自分のやっていることを肯定的に評価しない人間はだめな人間であるという視線の向け方はまさに「オウム」。無理解な人間の中で純粋な自分が己を貫いている。「大人は何もわかってくれない」という中○的発想。「盗んだパイクで走り出し」ちゃったりするんですか。

 レビューを読んで、こういう本を肯定的に評価する人たちが多いのにも驚きました。オウムを生み出す地盤は想像以上に根深いものだな、と暗然たる気持ちになります。
思考の停止って何だろう? ★★★★☆
オウムの側から見たというかいわゆる俗世に属しながら、その中間の立場を保とうとした作品
俗世からはオウムが信者から何までとことん悪いという印象で凝り固まっている。
オウムの信者は“洗脳”されていると言われるほど信仰を貫く一方、一人間として生活している社会の一員でもある。
森氏はオウムの信者団体から資金供与を受けていたとか、演出のため一部映像をカットしたとか色々と噂はあるものの、
内容としては非常に興味深いと思った。

ただ信者と俗世のどちらも“思考が停止”しているとの話が出てくるわけだが、
果たして思考が停止しているとは何だろう?物事の評価や結論を出したら停止だろうか?
評価や結論などに対する批判は意外なほどにたやすい。けれどそれを放置していても何にもならない。
思考を停止せずに考え続けるのは学者の仕事なのだろう。
痺れる ★★★★★
題材は、オウム真理教の宗教団体についての取材記録ですが、この本はそんなことよりもとてつもなく大きな、人間の闇にスポットを当てているように思います。共同体の足並みを揃えるためには必要なある種のタブーを、打ち破っていることは確かですが、私は不快感なく、むしろ底知れない興味を引かれました。

この本で一貫して指摘されている日本人の思考停止については、全面的に同意します。
いいや、日本人だけではなく、むしろ、人間全体の話です。
人間の思考には限りない闇があります。だからこそ生きていけるのだとも思うけれど。
今この瞬間に、第三世界ではたくさんの人が餓えて死に、どこかの土地で紛争があり人が殺されていても、私たちはその人たちの犠牲の上に成り立つ豊かな食料や経済環境を捨てることはない。同じ国の同じ仲間でさえ、「犯罪」「宗教」「差別」など、少し普通と外れたレッテルが貼られるだけで、自分たちと同じ血の通った人間だと判断できなくなる。メディアが隠せば、知ろうともしないし、誘導されれば、そういうものだと思い、自ら考えることもしない。
「なんでだろう?知りたいな」という声をあげる人は疑惑の目を向けられる。異質なものを見るように。
右へ倣えを良しとする。
本当に、恐ろしいことです。

知ってしまえば、心は善悪の判断がめちゃくちゃになって波だらけになるでしょう。でも、私は、知りたいです。メディアが扇動しない、自分だけの真実を。
情けないマスコミ ★★★★☆
オウムがサリン事件の後に当然ながら世間からのバッシングを受けている最中に、オウムの側から外を見るという視点でカメラを回して、ドキュメンタリーを制作した作者の本。

私が持っている知識は、マスコミが垂れ流したニュースやワイドショーなどの情報しかないので、多分相当偏っていると思うのだが、この本を読むと、何が真実なのかという前に、どうして日本のマスコミはこうだらしないのだろう…と悲しくなるくらい、ひどいことになっているのに気づく。

第四の権力どころではなく、単に権力にこびへつらう最低の組織に成り下がっていないか?

一番すごかったのが、オウムの信者を不当逮捕するシーン。
横でカメラが回っているにもかかわらず、公安が勝手にどこかのテレビ局のカメラだと勘違いして、テレビ局なら何を撮影しても、自分たちに不利になるようなことはしまいとなめてかかって、自作自演で公務執行妨害を演出する。で、信者は無実の罪で逮捕され、起訴されようとする。その一部始終をビデオ撮影していた作者が弁護士を通じてそのテープを提出したら、いきなり無罪放免…。ひどすぎる。

こんな感じで、いかにマスコミの情報が反オウムだったか、しかも正確に報道したのではなく、自分たちが最初からこのように放映しよう、そして皆にこう思ってもらおうという意図で編集されていたかが本当に良くわかる。

たまたまオウムだからというわけではなく、このような操作が日常的にやられているとなると、もう恐ろしい限りだ。
やはり出来る限り情報は客観的に見る癖をつけ、両極端の媒体などもしっかりチェックする必要がある。