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貧困の克服 ―アジア発展の鍵は何か (集英社新書)

価格: ¥672
カテゴリ: 新書
ブランド: 集英社
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米国や日本などを健全に再生させる可能性 ★★★★★
 インドでタゴールの教育を受け、飢餓を目撃し、英国で高等教育を受け著名な経済学者となった著者の講演論文。「人間の安全保障」という昇華された概念は高貴で力があり、米国や日本などを健全に再生させる可能性を秘めていると感じます。
 講演で、リー・クアン・ユー氏の「アジア的価値観」「権威主義的体制」を批判しています。対極に自由と寛容を置いているようです。この点はリー氏の方が実践的です。シンガポールが「不衛生、粗野、無作法な国」から「公園のような都市国家」になったのは自然にそうなったわけではなく、「まず国民を教育し、意義を説いた。それから説得に当たり、過半数の同意を勝ち得て、法律を制定によりわがままな少数派を罰した。こうしてシンガポールは快適に生活できる場所になった(リー氏)」。
 訳者大石りらさんの解説は素晴らしく、講演内容の理解に有益です。
モンゴル民主化後の貧困問題克服にも適用してみたい ★★★★★
 政治経済制度としての社会主義を放棄(社会的文化的には後も相続)、一九九〇年の民主化以降アジア的というより主に世界銀行・IMFの資金で欧米的政策の開発を進めたモンゴルは今日貧富格差が顕在化(日本と東・東南アジアの経済発展モデルの要素とセン教授が特徴づける1)基礎教育2)経済的エンタイトルメントの広範普及3)国家機能と市場経済効用の組合せ、では2)と3)に弱点か)。同国の本質的「貧困の克服」政策づくりの一助にと本書を手に。近年都会で猛威を奮う拝金文化を超え、伝統的に厳しい自然下で鍛練された全土の遊牧個人・家族の生存力と、セン教授も貴重な資料提供でその価値を示した「自由なメディア」追求欲(「モンゴル 民族と自由」田中克彦著)が裏づける、「エンタイトルメント」行使への「エージェンシー」(人間の主体的行為)としての強靭さが貧困克服の可能性を想起させます。「潜在能力」開発は、気候厳しい人口少国の脆弱性を超え、九〇年以降許された嘗ての英雄チンギス・ハンの末裔としての誇りが土台となるでしょう。ムガール帝国・アクバル大帝(在位一五五六−一六〇五)によるインドの多様性寛容の実践例示は、チンギス家連関系譜の同帝国が、人種・文化・宗教に関わらぬ人材登用(「堺屋太一が解くチンギス・ハンの世界」)と、信仰と礼拝の自由で多文化共生政策を実行し大帝国を治めたチンギス伝統精神相続の証として、セン教授の価値観理解を促進するでしょう。この多様性寛容に対する課題「リベラル・パラドックス」の解決策として提示した「他人の権利を考慮して他人のために行動する」原理、即ち自己の権利以前に他人の権利を考慮する「コミットメント」も貴重。民主化後の物質至上指向の台頭に動揺しつつも、遊牧文化に根付く助け合いと協働(モンゴル語でKhamtiin Ajillagaa)の考え方に理論的根拠を与えるからです。セン教授の貧困克服論をモ社会に効果的適用する観点からレビューしてみました。
民主主義の重要性。 ★★★☆☆
ノーベル経済学賞を受賞した、
アルマルティア・セン氏の講演をまとめたもので、
民主主義の重要性を中心に展開されています。

読み手(私)の問題なのかも知れませんが、
読んでみて、
「へぇ。そうなんだ」
という感想しかありませんでした。

文章自体は講演を基にしているので、
読みやすいです。

ただ、話が重なっている部分があるので、
残念でした。

かなり評価が高いようですが、
教養のある人には驚くべきような内容なのかも知れませんが、
私個人としては、驚くべき箇所がわからなかったです。

この本の良さがわかるように、
努力しないといけないかもしれませんね。

評価としては星3つとさせていただきました。
心が洗われる思いの講演集 ★★★★★
 これはノーベル経済学賞を受賞した学者であるアマルティア・セン氏の講演集である。経済学者にしては述べていることが哲学的であるなあ、と思っていたら、後でこの本の訳者が解説してくれるには、セン氏は経済学と哲学の橋渡しを目指しているのだそうだ。ちなみに、この訳者の大石りら氏の訳と巻末のセン氏についての解説が真に適切で、セン氏の思想をよく理解しているからこその名訳だったのだなと感心した。
 自分自身の思い込み或いは傲慢をいましめてくれたのは、セン氏の言う、民主主義の普遍性である。リー政権下のシンガポールの発展をして、発展途上国においては権威主義的体制国家のほうが経済発展に寄与する、との考えは常に為政者からの発言であり、一般庶民のそれではない、とセン氏はボツワナの事例を挙げて反論する。そのことは、別の言葉で言うと、民主主義、或いは社会の透明性に欠ける社会においては、10%の経済減速が及ぼすことの重大さは、国民一人ひとりが10%づつの負担をするということではなく、困窮にあえぐのは低収入の人々で、一部の富のある人たちにはほとんど影響はない、という事例でわかりやすく知らしめててくれる。
 飢饉は食糧不足が原因ではない、巷の情報を隠したり、批判勢力を抑圧するという民主主義の欠如(独裁政治)が引き起こすのである、という説明には目からうろこが落ちる思いであった。
セン氏は更にアジアに対する一部西洋社会の人々による、民主主義或いは寛容性に対する誤った見方について、アショーカ大王の宗教に対する慣用性を引き合いに出して正している、中世の西洋におけるキリスト教異端者裁判のようなものはアジアにはなかった、という考察である。
 経済学者だから何ほどの難しいことを言うのだろうかと思っていたが、真にわかりやすい語り口で、こういうものを読むことによって心の安らぎを得ることができたのはなによりであった。
当たりさわりなし ★★☆☆☆
発展とは何かについての講演録。

<「発展とは、GNP成長、所得や富、また財を生産したり、資本を蓄積したりする以上のことを意味している。ある人が高収入を得ていることは、彼の人生における選択の一つであるかもしれないが、それは人間の生の営みすべてをあらわしているとはいえない」[…]「発展のプロセスは、人々に対して、個人的にも集団的にも、その資質を完全に開花させることを可能にして、また同時に、そのニーズや利害に応じた生産的かつ創造的生活を営むことができるような政策環境を創り出さねばならない。人間的発展はしたがって、人間の潜在能力を形成するだけではなく、これらの潜在能力をいかに活用し、発揮させるかということにも関わっている」>(p. 170、「解説」中の訳者による引用)

ということ。なんだかいろいろ書いてあるが、本書のタイトルになっている「アジア発展の鍵」とは、要するにそういう政策環境のことである。当たり前のことである。

ということで当たり前のことを当たりさわりなく述べているだけの、当たりとはいえない一冊。新書と比べるのもなんだが、『セイヴィング・キャピタリズム』のなんかの方がよほど中身のある議論を展開している。