この本を読み始めて強くひきつけられた一節は、著者が本書を執筆することを友人(ドイツ人)に話し彼にいわれたこと『あまり日本人との共通点を強調しないでくれ』心底日本人とは違ってほしいご様子・・・
著者は言う。「社会が開かれて自由に過去を振り返る、それも犠牲者でも加害者でもなく『批評者』の視点で振り返ることができるようになってはじめて、(過去という)亡霊は安らかに眠れるのである」と。
ところが私はそこに書かれた「事実」に対して少なからず動揺してしまった。戦後生まれでありながら、やはり日本人である。自分でも意外なくらい過剰に反応してしまった。(加害者であったことをつきつけられて気分がいい人間がいるはずがない)かなりリベラルな頃の戦後民主主義教育をうけてきたはずの世代の私でさえ、ノーマルな反応ができなかったのである。しかし、だからこそ、それ(批評者の視点で振り返ること)は必要なのだ、と私は結局納得させられてしまうことになる。著者は責任をあげつらうのではなく、過去をいかに克服し、よりよい未来に向かうのかを必死に指し示そうとしているからである。
「過去から神秘性を取り払い、首尾一貫した出来事の連続として過去を見直し、それらの出来事を批判的に説明、評価するのは歴史学者の仕事である」と著者は本著の中で言及している。そういう意味では本著は「その後」の歴史書であるとも言えると思う。
印象的な1節を引用しておきたい。
「個人であれ群集であれ、歯止めのない権力は残虐性を導き出すものだ」
自分で自分の姿をみるのは結構むずかしい。これからの私たちのためにも、私たち以外の人たちのためにも、外からみた人たちからの指摘には、とりあえず素直に聞く耳をもっていたほうがいいような気がする一冊。
著者は結論として日本は特殊な国ではない。日本人とドイツ人に大きな差などないとしています。
本書を読んで、なるほどと思いました。