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道元―自己・時間・世界はどのように成立するのか (シリーズ・哲学のエッセンス)

価格: ¥1,050
カテゴリ: 単行本
ブランド: 日本放送出版協会
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本質を簡潔に解説する妙技 ★★★★★
本質を平易な言葉で、わかりやすく解説する著者の妙技に、感嘆するばかりです。

私の理解した概要は、
1)本来、存在とは、自己が、生活の必要に応じて、分節化(言葉によって、世界をくぎる)することによって、生じたもの。
しかしながら、俗世では、その存在が固定され、はじめからそのものであったかのように、誤解されている。

2)「さとり」とは、そのような現実における枠組みを解体(解脱・脱落)し(空)、再度、すべての存在を、関係(縁起)によって再構築(現成)することをいう。

3)時間も、俗世では、単なる流れとして認識されていたものを、「空」において、一旦無時間的なものに還帰し、再度「現成」において、自己によって主体的に把握される非連続な「今この一瞬」に再構築している。

このように読み進めていくと、道元の教えとは、「言葉は概念に先行する」といったヴィトゲンシュタインや、「時間と空間は一体である」とか、「すべは、相対的な関係によって成立している」といった相対性理論とも、つながっているようにも思えてくる。
道元を、釈尊の悟りから見る手がかりを与える書 ★★★★★
頼住氏は『正法眼蔵』をもとに、「道元が悟った自己と世界の真理」(p.8)について、見通しの良いマップを与えてくれた。このマップのお陰で、道元の世界を大乗仏教が描く釈尊像ではなく、実在の釈尊の境涯で見直すことが可能になる。
著者は、“経典のどこを読んでも、シャカが菩提樹の下で瞑想して得た真理そのものについて叙述する言葉は見あたらない。”(p.9)という。しかし、上座仏教のパーリ語経典によれば、釈尊が悟った自己は「諸法無我」であり、釈尊が悟った世界の真相とは「諸行無常」であると言える。
つまり、「一切皆苦」は「諸行無常」と「諸法無我」に対する無知から生まれるので、ヴィパッサナー瞑想(本来の坐禅や経行はこれである)によって「諸行無常」と「諸法無我」を体得すれば「涅槃寂静」に至るのである。その目印が“四沙門果”であり、頼住氏が“真理が言語超越的であるからといって、真理について全く言及できないかというと決してそうではない。真理を指し示すことはできる。”(p.27)という指摘に対応する。真理に到達する段階を釈尊は示されている。
さらに大乗の「空」が実在の釈尊が唱えた「諸行無常」と「諸法無我」であることに気づけば、図1と図2は違った表現になるであろう。
根本教説を明示する力作 ★★★★★
著者は日本思想史研究者として知られた人。宗門の立場ではなく、哲学的な視点から『正法眼蔵』を明快に読み解く。余計な枝葉を捨てて、全体の叙述を「無自性―空―縁起」という根本教説の一点に絞り込んだのがよい。読者はこれで、道元の思想の全体像を掴むことができる。大乗仏教の真髄は、たんに「他者を救うこと」にあるのではなく、「無知の克服による自己と他者の救い」にある(p11)。「真理の探究とその伝達」こそが、道元の生涯のテーマだった。我々の日常的な世界像は、生活実践と関心にもとづいて作られており、その目的に適うように言語的に分節化されている。「もの」には固有の本質(=「自性」)があるという”常識”もまた、この分節化に支配されている。とすれば、「真理の探究」は、この”常識”を厳しく吟味することになる。

道元は、世界を実体の集積とみなす”常識”から自由になるために、項ではなく関係の全体性として世界を捉える。世界の真の在り方は、無数の事象が「互いに原因(因)や条件(縁)となり合い、複雑な関係を結びながら、相互相依し合って成り立っており」(48)、実体のようなものは存在しない。これが「無自性―空―縁起」というテーゼである。本書の優れた点は、この構図と道元の時間論をうまく重ね合わせた点にある。たんに”常識”から解放される「解脱」だけではなく、その「空」の立場から世界を新しく見て取る「現成」という双方向の運動こそ、真理の立場である。この「現成」に、道元の「有時」や「今」という時間論の独創性がある。つまり、因果的な項の連鎖や流れとではなく、存在の全体を新しい関係性のもとに見て取る「永遠の今」という「空そのものの時間化」こそ、「今」の真義なのである(105)。
空に立脚した一にして永遠なる‘時間=存在’の世界 ★★★★☆
 本書からいくつかの興味深いテーマについて紹介する。

 ことばと空。空について,自性をもたないという消極的な意味と,だからこそ,縁起によって事物事象が相互関係の相のもとに成立するという積極的な意味があること,また,空であるにもかかわらず言葉の分節作用によって,無自性なる世界を実体化してしまうことを説明する。

 「尽十方界是一顆明珠」。すなわち世界全体の全存在者が自性(実体─本質)抜きに存在して,相互に連動し合い,根拠づけあい,ひとつであること,だから,一人の悟りが全世界の悟りへと波及する,という考えを詳解する。

「さとり」と修行。けだし存在者が空に立脚してあり,存在は永遠である。花は空であり無であるが,「今」たしかに花として現成している。空はすべての意味を無化すると同時に,「それゆえに」すべての意味の源泉となる。そして分節化された世界,意味の世界の成立は「今」という時の成立でもある。ここは,コインの裏表のようにして相互的に成立する有と無についての道元の考えに挑んで興味深いが,上記の「それゆえ」がなぜ「それゆえ」なのか,もう一歩踏み込んでほしかった。

 時・自己・存在。道元では時間=存在者だそうで,このため第四章の,空であるがゆえに分節化された世界が現成するという説明が,空であるがゆえに時(=存在)が現成するという形で,繰り返される。しかし,空に立脚して時(今)が現成するあたりの説明は,やはり踏み込みが足りない気がして不満が残るし,この現成する今は,いわゆる「永遠の今」だといわれても,どうも納得できない。また,縁起を根拠に今ここに在る一本の草にも全世界が織り込まれていると説明されるが,ここも腑に落ちない。

 不満をずいぶん述べたものの,著者の説明は上手でわかりやすい。道元への哲学的接近として,コンパクトな良書だと思う。
道元思想のとてもよい入門書 ★★★★★
自己を探求した道元についてのとてもわかりやすい入門書です。
入門書といってもとても重要な基本が押さえられた良書です。基本はなんにおいても重要です。

道元は世界に誇れる日本が生んだ思想家であるとおもいます。哲学的な視点を備えたその思想をわかりやすい言葉で、この本は説明しています。
道元が探求した自己と世界の真相に触れるための手がかりとしてのよいイントロダクションになる本です。