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レヴィナス―何のために生きるのか (シリーズ・哲学のエッセンス)

価格: ¥9,632
カテゴリ: 単行本
ブランド: 日本放送出版協会
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信の置きどころ ★★★★★
レヴィナスについての本。でありながら、この著者の他の本同様に、著者の独自の思想を述べた本。
この哲学者は、端的に凄いと思う。なぜか?この著者の本を読んだ人が、「世界は変わるんだ」、「俺みたいなのでも生きていて良いんだ」、「人のために生きてやろう」、そういった信を据えた生き方を実践することが可能になるからだ。

マルクスにしても、ブルデューにしても、大人しく読むことなんかどうでもよい。使ってなんぼだし、その読書を通じて、何かの信が読者とマルクスの間に立ち上がることの方が、重要なのだ。そんな読み方を著者は押してくれるように思う。

小泉本の読み方として補足。部屋でブルーハーツかクラッシュを聞きながら読むと、からだで了解できるように思う。

無理な情熱 ★★★☆☆
 路上生活者や重度身体障害者を目撃するとき,われわれは「他者」に差し貫かれながら,倫理の門をくぐる。しかし,倫理どうこう以前に,無条件に「在ること」を心底から肯定できる「精神の強度」をもつべきであると著者はいう。あんな生なら生きないほうがまし。あんな暮らしなら,あんな体なら・・・。「どのようにして」「在る(生きる)もの」の「どのようにして」に惑わされて,「在るもの」が「在ること」の崇高性に気づけないでいるのだ。それは精神の弱さである。

 「在ること」を無条件に肯定すべしという前半から進んで,後半では「在ること」が善であるがゆえに,「在らしめること」を生の根拠としようとする「生殖の哲学」について説明される。しかしながら,「在ること」と「在らしめること」とのつながりがいまいちピンとこない。その理由の一つは,たぶん「死」とはなんであって,「在ること」とどのようなかんけいにあるのかについての哲学的考察がみられず,常識的な死イメージにのっかっているからで,もう一つには,「存在」と「倫理」を「他者」でリンクしようとする試みがそもそもうまくいっていないから,あと一つには,著者があとがきで触れているレヴィナスの「人間家畜論」が前提されずに「生殖」が語られているからではないかと思う。

 なんのために生きるのか,という問いに「生まれてきたから」という以上の答えを出そうとする情熱は感動的でもあるが,感動的な苦闘をするより腹をくくって覚悟したほうがいいのであって,著者のいうようにレヴィナスに学ぶべきものがそうあるとは思えない。
 
 
小泉義之とレヴィナスの親和性 ★★★★★
小冊子ながら本当に大事なことだけが書かれている。難解なレヴィナスの思想の核心を浮かび上がらすのに、苛烈なまでに潔癖な哲学者である小泉が適任であることがよくわかる。この世界に「生まれ、生み、そして死ぬ」人間。この「(自分の子を)生む」というところが肝心なのだ。「存在論的カテゴリーとしての繁殖性」を考慮してこそ、自己の死、他者、倫理などの真の意味が見えてくる。レヴィナスには他の思想家にはない何か切迫したものがある。それが嫌いな人もいるだろう。だが、近代合理主義の野蛮さが隠しようもなく露になったアウシュビッツの世紀に、哲学が何事もなかったかのように切迫しなかったとしたら、その方がよほど嘘くさいではないか。この本がまず考えさせるのはそのことだ。初めて上京した小泉がホームレスという「他者の顔」に「倫理」を感じたときの話は、中野重治の「歌の別れ」を思い出させる。