書物(=世界)のアレゴリーとして編集され、別巻は本編全12巻を読み込むための道具に徹する
★★★★★
哲学史の全集あるいはシリーズが刊行されるのは、実に珍しい。日本に哲学者は少なく、哲学学者は多いといわれる、然りである。それは欧米的知的伝統に培われた哲学にせよ東洋哲学にせよ、知への絶対的渇望を要求する超越的な志向が在野に希薄だったからであろう。さていずれにしても、日本で初めて編集された哲学の歴史全13巻が完結したのは慶賀に耐えない。本別巻は、全12巻を通じての総索引、総目次と哲学年表を載せて全巻をガイドする最重要な巻であり、最も有益な一書である。冒頭を飾る村井の「イメージの回廊: 蒐集された宇宙」に始まる哲学誕生として博物誌的考察は、言葉に次に知の蒐集に腐心した人類の営為を「目録」として編み続けた学知蒐集の歴史を、コンパクトに語っており、実に有意義である。知の目録を編むことによって、近代欧米の大学が成立してゆく。その資源を合理的に利用可能にしたのが、博物館、図書館と美術館であり、のちに文書館が加わっている。それを書物の本質として形式で、アレゴリーとして編集されているが、別巻として本編12巻を補足する。ビジュアルな編集も優れている。哲学史の現在を語り、さらに鼎談でその意義を吟味し、「書物が私を作った」という執筆者自身151人による哲学事始の書物紹介など、これから哲学を身につけようとする初学者への配慮も良い。本書を座右におくことで、哲学書を紐解く大きな羅針盤ができた。完結を喜びたい。
最後まで期待外れだったシりーズ
★★☆☆☆
「世界の名著」が出て40年以上経過したその蓄積は何だったのかと訝しく思うしかなかったシリーズ。例外はあったが、残念な結果に終わった。此の巻は、年表等の別巻だが、或る意味このシリーズの性格が良く出ていると思う。結論を言えば哲学と言う最もアカデミックであるべき分野が、現代的な学問制度の中で、「評価」の方法を見出すことが出来ないために、破綻しつつある姿をさらけ出したと言う感じだ。いっそ、現代的な意味での「評価」や、世間や、出版という産業に徹底的に背を向けて何のことやらわからないようなそんな世界に徹して数十年通してみる根気が無かったことも敗因と思える。100年やそこらで評価の確定する世界ではないのだからもっと腹を据えて取り組んで欲しい。年表を見てみると、日本の項目には、戦後出版された、安易な人気のあった著作を「歴史的な作品」としてデカルトやカントの作品と並べている無神経さで、一方で、ハーバーマスの左翼的時事的な色彩の濃厚な作品を挙げながら「コミュニケイション的行為の理論」を挙げず、ドゥールーズの諸作品を挙げてみたりと、明らかに学生運動上がりの左翼系の学者(?)、出版人が関わったことが露骨な結果が明らか。日本の哲学受容の歴史にしても、慶應や上智に古くからあった中世ラテン語に関する研究に根ざした系列はほぼ無視に近く、執筆者の出身校か関係者の思い出話に毛の生えた程度の叙述で、どこが「歴史」なのかまったく疑問。青土社の「現代思想」の臨時増刊号より悪い出来の書物で、だったら、内容は、「ムック」本だと事前にことわって欲しかった。一体目的が何だったのか不思議なシリーズ。早々に廃版にして、「新世界の名著」シリーズを求む。