舞台は1950年代アメリカ・ニューヨーク州の小さな町。女子高校生が結成したフォックスファイアの活動の記録を、主要メンバーだったマディ・ワーツが回顧する。蛇行するような不均一な語りは、マディのフォックスファイアへの複雑な思いを表現しながら、同時に高校生のはつらつとした迷走ぶりをうまく再現している。
フォックスファイアの活動は、主に性的いやがらせをして女の子を食い物にする男たちに、目に物をみせてやることにある。町の大人たちは、ただのギャングだと思っているのだけれど、彼女たちは志高き正義の味方、とくに女の子の味方なのだ。
強烈なカリスマ性をもつリーダーのレッグスは平等主義者でフェミニスト。ときに資本主義を批判するなど多分に政治的。しかしメンバーたちはレッグスの思想を完全に共有するまでには至らない。たとえば、レッグスが友人とする黒人の女の子たちはメンバーの猛烈な反発にあって受け入れてはもらえなかった。
こうした青春の物語が、とくに政治運動のような体裁をとると、いかに高潔な志のもとに集まろうと、学生運動の苦い記憶に重ねられて、未熟な子供たちの暴走ということでまとめられてしまいがちだ。しかし、この物語の結末では、我らのレッグスのその後が、希望として確保されているところを最大限評価したい。
こんな痛快な小説を知らなかったなんて、これこそ女の子にとって、フェミニズム的大問題だ!(木村朗子)