興味深い話がぎっしり
★★★★★
私は家康公恩顧の大名で幕末には大老井伊直弼を擁した譜代の彦根藩が、いくら機を見るに敏とはいえあっさりと西軍に降りてしまったことが腑に落ちなかった。今回この本で「泥まみれの赤備え」を読んでやっと合点がいった。歴史の機微というものは当事者の感情に左右されるものだということは「クーデター大好き」で岩倉具視のところでも解説している。
「龍馬を斬った男」も本人は階下の台所で見張っていただけなのに、人に話を吹聴しているうちにいつの間にか自分も二階に上がって乱刃に加わって、あたかも龍馬を自分が斬ったかのように話がふくらんでいくのもありがちな話だなと納得できる。「老人隊奮戦す」はもう少し詳しい話も書くことができるのだろうが、紙面の関係でコンパクトにまとめてある。
どの話も幕末の大きな波の中では小さいエピソードだが、見逃すには惜しい。
太平の巻のハッピーさから一転、やりきれない苦さが漂う巻
★★★★☆
あとがきで著者自身、「ここに集めた三十八人の挿話にはあまり美談がない。さまざまな形で切羽詰った人々がなりふり構わず土壇場を切り抜けた、あるいは切り抜け損なった姿の方に関心を向けている」(p213)と書いていますが、確かに「太平の巻」は読んでいて頬が緩むような場面も多かったのに、この巻は読んでいて辛い話がエンエンと続く印象があります。
しかし著者は上の引用の直後に、「歴史はドタバタで作られる。その感触を楽しんでいただくのが狙いである」とも書いています。当方の受容能力の都合もあって、著者のサインを全部受け取れたとは言いませんが、意図するところは了解です。
さて、この巻でも、随処に著者のクセのある人間観察が顔を出します。幕末の勤王詩人梁川星巌を評して「六〇年安保の頃、ベレー帽をかぶって集会で嬉しそうに挨拶していた左翼文化人と似ているところがある」(p31)なんて、すごく嫌味な感じでいい。その星巌の妻について書いた部分でも、「昔から《女の論理》に男が勝てたためしはない」(p33)なんて、どっかからブーイングが来そうじゃないですか?
面白かったのが、学習院過激派の話(p82〜)。1846年、「宮廷公卿の子弟に伝統的な和漢の学を講じる教育機関」として設立されたが、1862年、「尊王攘夷運動の高まりの中で、朝廷に国事御用掛が設置されてからは性格が一変した」。尊攘派の若手公卿や尊攘志士が大量に入り込み、「ウブな公卿お坊ちゃんの耳に激烈な討幕思想を吹き込んだ。学習院は政治集団のアジトになった」。いやあ、この伝統は今でも受け継がれているんでしょうか…なワケないよね。
抒情詩のようです
★★★★★
幕末を駆け抜けた38名もの人々の生き様・死に様が簡潔にまとめられています。それぞれの節は個性的で、輪郭は明瞭です。各々末尾の文体に工夫が凝らされているからでしょう。 極めて個人的な印象ですが、読み進めているうちに、もしかしたら本書は幕末の人々を題材にした叙情詩なのではないかと感じられることがありました。作者は正座して朗々とうたっているようです。「英霊の帰還」の節など、さしずめ余韻嫋々たる間奏曲です。
とても面白く味わうことができました。
なお、「最後の江戸町奉行」の末尾の文「入れ替わったのは主だけという点に明治維新の何とも不思議な合理性がある」は、アメリカのイラク占領政策担当者が心すべき含蓄に富んだ言葉のように思えます。
これぞ「教科書が教えない幕末」!
★★★★☆
前作「太平の巻」同様、毎回一人の人物にスポットを当てた「読み切り歴史コラム」を並べた体裁で、軽妙な語り口なので読みやすい。ただ、前作に比べ人物が政治家や役人に偏り、文化人や庶民があまりとりあげられなかったのがちょっと残念。それでも前作を楽しめた人はもちろん、幕末好きの人にも十分おすすめの読み物です。