井伊直弼の首に象徴される幕末抗争
★★★★☆
開国以来、ますます混迷を深める幕末史が前巻に引き続いて生き生きと描かれる。
特定の政治的立場によらず、しかし緻密な調査とバッサリとした史観から描写される活劇はぐいぐいと引き込まれる。
また、筆者なりにいろいろと歴史的教訓を得ようとしているようである。とにかく続刊が楽しみである。
ワタシ的には阿部正弘復権も、ちょっとうれしい
★★★★☆
先行レビューにも触れられている通り、桜田門外の変の顛末は大変な臨場感。さまざまな目撃証言が縫い合わされているに違いないが、それにしても血腥い暗殺現場の一部始終を執拗に描き上げる著者の筆に、ある種の過剰さも感じた。
とりわけ「凄い!」と思ったのは事件の直後、「まだ息のある重傷者が恐ろしい唸り声を発し」、「死骸がごろごろして」、「血みどろの泥濘」と化した雪の現場で伊井家の家来たちが取り片付けに奔走している只中、紀州徳川家の登城行列が近づいてくる場面。「先頭が現場に差し掛かっても誰も制止しない。伊井家は傘で死骸と流血の跡を蔽い、紀州家の供侍は笠で目隠しをし、視線をまっすぐ前方に据え、『何事も見ていない』という顔を繕って早足でその場を歩み抜けた」(p178)。
ここ、映画で観たい!
また、「世の政治家は、(伊井暗殺を巡る)次の残酷なジョークを読んで、日本の民衆の怖ろしさを心に刻むべし。日頃はお上にぺこぺこ頭を下げているが、失墜した権力者に対してはどんなに容赦なく本心を剥き出すか」と書かれた、そのジョークは直接ご確認ください。確かに「この笑いには一片の同情もない」(p183)。
ただ、あとがきで著者が「現代日本が本当に必要としているのは、井伊直弼のように、あえて泥をかぶるのを辞さない政治家なのではあるまいか」(p232)ってのはドーかな。本書の記述に従っても、伊井ってそういう「決然たる政治家」ではなかったんじゃないでしょうか?
読ませる。
発掘された史実たち
★★★☆☆
歴史には様々な一面がある。
教科書に記載されるような、重大な事柄から、ゴシップ的なものまで様々だ。
ひとつの事柄でも、たとえば「桜田門外の変」は、どの教科書にも紹介されてい
るだろうが、「井伊大老の首はどうなったのか」について触れている教科書はな
いだろう。
本書では、主に教科書には出てこないが、幕末期に起こった、紛れもない史実を
いろいろと紹介している。
では、井伊大老の首は一体どこへ行ったのか?。
これは読んでからのお楽しみだが、当時桜田門外の変を目撃した杵築藩士の談話を
紹介している。
大老の首が落とされる音の描写など、目撃者ならではの臨場感あふれる逸話だ。
その他、慶喜が将軍世司となった裏話、幕末期に起こった天災などおよ40数話を
紹介している。
各章は、2−3分で読める話ばかりなので、通勤時間などちょっとした空き時間に
読むにはちょうど良い。
幕末の世相が小気味よく綴られた良質の歴史エンターテインメント
★★★★☆
週刊新潮の人気連載を新書化した二冊目の本。堅苦しい歴史書でもなく、かといってお気軽な小説や講談風でもない。公文書や史書の記述に裏付けれた幕末の世相が、小気味よい文体でいきいきと綴られた良質の歴史エンターテインメント。これまで様々なタイプの幕末物を読んできたが、そのどれにも当てはまらない不思議な臨場感が全編を覆っている。
ひとえにそれは、教科書には記述されない庶民の生き様や暮らしの息吹が、適度な粗さの網目で掬い取られているからであろう。歴史には「表」と「裏」がある、とはよく言われるが、同時に「日向」と「日陰」があるのだという事を改めて感じさせてくれる本。
平成の今を鏡の様に写す井伊直弼と幕末の政局
★★★★★
本書が秀逸なのは、文字通り井伊直弼は桜田門外の変で打ち取られ、首だけになってその歴史的使命を果たしたという、著者の歴史観が、「井伊直弼の首」と言うタイトルにいみじくも凝縮されているからです。
読み終えた後、私はこの本の描く幕末のスタート時期が今の日本の世相や政局に気持ち悪いほどよく似ているな〜と思いました。