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草原の記 (新潮文庫)

価格: ¥420
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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感動につきあっていただきたい ★★★★★
2010年、見回してみれば感動・感激・涙・ベストセラーのかしましい
オンパレードです。

司馬さんは、もういません。
僕たちは、もう自分自身で高々とした蒼穹と
広々とした草原をわたる風を探さなくてはいけないみたいです。

何も思わず、考えず、「草原の記」を読了しました。

モンゴルの大草原の蒼穹の下、
草草の匂いを運んでくる風をたしかに感じながら、
立ちすくんでいる自分を感じています。

生きていくのにいささか疲れ果てていましたが、
ここで一休みしてゆっくりまわりを眺めていたいと思います。

ああ、司馬さんはほんとうにもういないのですね・・・。
叙事詩と呼ぶにふさわしい一冊 ★★★★★
一人のモンゴル人女性の生涯を通じて、淡々と語られる壮大な歴史物語。
それが僅か200ページ程度に凝縮されています。

どんな小説よりも、どんな論文よりも、モンゴルという国について、私に強烈な印象を与えてくれた一冊です。
もんごるに駆ける ★★★★☆
冒頭の「空想につきあっていただきたい」という言葉に、完全に惹き込まれて
しまいました。歴史と随想、あるいは回想を絡めながらモンゴルの大地につい
て、淡々と述べている作品。

完全に作者のモンゴルへの尋常ならざる愛情を感じざるを得ません、心地よい
くらいにモンゴルという草の大地におぼれています。空の青と草原の緑だけが
風景のあの大地に、これほどまでに魅了されている彼の話、モンゴル人の話、
ロシアと中国に挟まれている歴史を絡めながら非常に、純文学に近い形で掛か
れていると思う。

ツェベクマさんという女性が主軸となる。この人の生涯を作中の要所に絡めて
居るが、司馬氏自身満州へ派兵された経験。善悪定かならぬ世界大戦の戦禍に
巻き込まれた、人間のつらさは、経験した人でければ理解しがたい感慨だと思
われるし、戦後、昭和末期に生まれた僕などがどうこう云える者でもない。た
だ彼らの人生に想いを馳せて出てくるのは、どういう性質の物なのか自分でも
理解できない、ため息である。
モンゴルへの思い ★★★★☆
あまり断定は出来ないがこの作品はやはり司馬文学を代表するものではないだろうか。その読後感はモンゴルを象徴したような女主人公のツェベクマさんの「歴史をものともしない」生き様に感動するところから醸成されてゆく。

司馬さんは小さい頃からよほどモンゴルが好きだったとみえる。その少年の夢を1回目は1973年(昭和48年)50歳のときに、2回目は17年後の1990年(平成2年)67歳のときに実現した。モンゴル取材旅行である。そして2年後の平成4年69歳でこの本を出版している。亡くなる4年前であった。

ツェベクマさんの身の上話を一緒に聞いて嗚咽した亜細亜大の先生がいた。その鯉渕先生によると「草原の記」を書き終えた後に届いた手紙には「原稿を書くという苦痛を越えて、少年の日から持ち続けていたモンゴルへの思いが、これで成仏できたと思っています」とあったらしい。50年余の間も成仏できなかったほどの想いとは!

「気体のようなものを書いている」という。詩的な心情を散文に直す、固体化するという作業が難渋している風に書かれている。が実はその詩的な心情の中に文学的価値、いや司馬さんが忌み嫌う「思想」が潜んでいるような気がしてならない。

といっても昭和の戦争の経過と原因をすごく簡潔正確に書き切っているしご自分の戦車部隊の経験も具体的だ。しかしそうゆう戦争の歴史も「蒙古茸だ」と比喩してしまう。はかなく過ぎ行くモンゴルの風土のように、オゴタイの寡欲のように。

解説文は山崎正和氏が毎日新聞に書いた書評を司馬さんが懇請して掲載されたものと聞く。その山崎氏が追悼文の中で若き日の狂乱の時代に「半ば無意識的に司馬さんは歴史から離れて悠久の時間にあこがれたのではなかったか。それがアジアの中で最も歴史的な熱狂に遠く自然の循環のイメージに近いモンゴルに司馬さんをひきつけたのではないか」といっている。自然の循環のイメージというのがいい。
帰巣 ★★★★★
久しぶりに胸にジーンとこたえる本だった。
司馬氏独特の冷静な表向きの内に様々な秘められた感情を感じさせる文章が冴える。美しくも苦渋に満ちた人間の歴史をひたすら見据え続けた著者だからこそ書けた本だと思う。
司馬氏もこの本を書くことでどこかに「帰巣」したのではないかと思った。