辞書も文法書も教師もなくても、語学はできる
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江戸中期におけるオランダ語学習環境は、想像を絶するほど厳しかった。翻訳をしたい本があっても、それを訳す手がかりは、オランダ通詞が気まぐれに教えてくれる少数の単語でしかなく、彼らも、複雑な文章を読むことはできないのである。大通詞は言う。「長崎で何十年もオランダ人と共に暮らしてきた我らですら、書き文字を訳すことは叶わぬのでござる。諦めなされ」と。しかし、前野良沢の情熱、仏蘭辞書を手がかりにするという曲芸じみた工夫、医師であるから体のことなら何を書いてあるかおおよそわかるという偶然が、不可能を可能にした。前野の業績を思うとき、たかだか英語程度に苦労している我々の卑小さを痛切に感じる。
なぜ名が記されていなかったのか
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艱難辛苦、刻苦勉励、ターヘルアナトミアを訳出した前野良沢と杉田玄白。
しかし完成した『解体新書』には、前野良沢の名前は記されていなかった。
いったい、なぜなのか。
2人の人間に存在した残酷。
江戸のプロジェクトX
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江戸時代という制約の中で、必死に一大プロジェクトを成し遂げた男たちの物語。言ってみれば江戸のプロジェクトXといったところか。
吉村氏も膨大な資料調査や、同様の翻訳作業を経たそうで、筆の端々に重みを感じさせる。
目標を立てて、誰も成し遂げたことのない世界を切り開いた偉業は、今日のわれわれにも教えるところは多い。ここから蘭学が進歩し、そこから幕末明治の英学につながり、やがて現在の英語学や言語学にもつながるのだ。中高生が辞書を粗末にしたり、電子辞書をおもちゃのように使っているのをみると、これはいいことか、悪いことなのか、考えさせられる。
現代に続いています
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ターヘルアナトミアを翻訳した杉田玄白、前野良沢。出版には反対し良沢は玄白とは別の道を歩んでいくことに。この翻訳作業の場面は、読んでいる自分が憂鬱になってくるのが判るくらい緊迫しています。辞書もなく外国の言語を訳すという作業は、私には全く想像ができません。大型の書店に行けば世界中の言語の辞書が並んでいるし、専門書もほぼ100%翻訳されている現在の日本では想像を絶する作業です。
あとがきに良沢が家族とともに眠っていると記されていることを読んだとき、何か胸が熱くなりました。
前野 良沢への解釈が極端
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吉村昭の流石に重厚な筆致を彼の日本医家伝を読んだ後でさらに感じたし、実に面白く読めた。だが、あまりに前野 良沢を美化し、杉田玄白を俗人化しすぎたところが鼻につく。多分吉村昭自身が前野 良沢的人間でなかったのかと。今年膵臓がんで死ぬときに点滴を自ら引き抜いて逝った態度がその反映か。となれば、晩年の彼の随筆を読んでみたくなる。