事実に裏打ちされた正義感に包まれた著作です。
★★★★★
名著です。この種の総括的文献(個々の体験談等ではなく)では作者がどれだけ客観的にデータを収集し、個人的感情なしで伝えるかということが極めて重要ですが、林博史氏はこの目的を確実に達成しています。BC級戦犯と戦後の裁判に関して知りたい方には是非読んでいただきたいと思います。本書はBC級戦犯裁判という限定した内容でありながら、氏の求めるところは真の平和であり、そして日本社会に歴然として残る責任不在社会への警鐘であることが、最後に伝わってくるでしょう。
最近、加藤哲太郎氏原作の私は貝になりたい―あるBC級戦犯の叫びが再び映画化され、BC級戦犯を知らなかった方々がこの問題を認識するようになりました。しかしあのドラマ(私は貝になりたい (朝日文庫))は加藤氏が巣鴨プリズンの中で訴えた本来の意図を離れ、また主人公を二等兵とするなど事実ではない要素を含んでいることを知っている人はどれだけいるでしょうか? 林氏のこの著作は「私は貝になりたい」の求めているところにまで言及しています。本書は単にBC級戦犯裁判に関する調査結果に基づいた総括的著作の枠組みを超えた平和を求める訴えであり、またその中で日本の果たすべき役割を論じた名著といえるのではないでしょうか。
まさしく名著です。
★★★★★
ただ単に「BC級戦犯裁判」にとどまらず、「大日本帝国」という「国家システム」にまでメスを入れた名著です。しかもここが重要なのですが判り易くて読みやすい。名著でしょう。
読者が判断して欲しい本
★★★★☆
この本の評価は非常に難しい。私も何度も読み直したが、正直言ってもっとBC級戦犯については深く知らなければならないと思う。むしろ、A級戦犯の問題より根深い問題点があるとおもう。
この本に書かれていることを鵜呑みにするのは危険だが、かといって我々が無視することができない重要な事項が書かれている。
私が否定的に思う点を何点か記述する。①著者は若干しか述べていないが、事後法による裁判、そしてその当時の国際法にのっとってなされたものかどうかの記述がほとんどない。②三光事件、南京事件および731部隊については、連合国側(主に中国)の意見のみで判断している。、むしろ近年の研究によってそのほとんどが、裁判がなされた当時とは異なっていたことは明白である。③現地人に対する処刑等であるが、当時華僑勢力を中心としたゲリラ活動は当時の国際法的には違法であり、処刑もやむなしとしていた。④本書の中で著者が引用している文献のなかに、日本のいわゆる反日親北朝鮮団体の意見が多く採用されている。・・・等々である。
かといって、BC級戦犯は実際にかなりあっただろうし、現地住民及び捕虜に対する残虐非道な行為は旧日本軍及びその軍属にあったであろう。また、その根拠となる文献や被害者の体験を著者はよく調査し述べている。この点を評価したい。また、裁く側の問題もよく鑑みている。そして、最大の課題として、連合国側の戦犯についてや第二次世界大戦(大東亜戦争)以降の戦争において、戦犯の取り扱いについて疑問を呈している(特に対イラクに対して)。
今からこの本を読む方には、この本の記述をまるまる鵜呑みにするのではなく、この本に書かれていることを十分自分なりに考え、検証して欲しい。そして、大東亜戦争について深く考え、決して否定的だけではなく肯定的だけでもなく、自分なりの意見(価値観)を持って欲しい。
多くの虐殺があった
★★★★★
戦犯としては、A級戦犯が最も重大な罪に問われているので、戦争犯罪・戦争裁判に関わる関心もまずはA級戦犯に向くのだが、そこで問われる「平和に対する罪」が実は私にはうまく飲み込めない。特に事後的に作られた法によって裁かれる点が特にわかりにくい。
それに引き換え、B級戦犯は「通例の戦争犯罪」つまり、捕虜を虐待したり無抵抗の非戦闘員を殺した罪などだから、何が裁かれているのかはっきりしていて、事実認定も比較的容易だ。罪を犯した側が、それを悪いことだと意識していたかどうか(戦時においてはやむをえないと考えていたかもしれない)はまた別だが。
BC級戦犯裁判を通じて、そうした虐殺や虐待の事実が認定され、それを通じてまた大東亜戦争(本書の主題が日本帝国軍人の裁判だからこう呼ぶが)でどんな残虐行為が行われたかにも想像がつく。
そうしたことから、本書が示すBC級戦犯裁判の総括が示す資料は貴重だ。また多くの認定されていない(できない)事実が存在することをもふまえて、当時何が行われていて何が現在につながっているのかを認識することは、必要なことだと思う。
戦争全般の知識・意識が深まる
★★★★★
BC級戦犯裁判という題名のとおり主な内容はA・B・C級といわれるようになった経緯、裁判と特徴、裁かれた階級等が書かれている。
前半はそういった事実が淡々と書かれている印象を受けるが、5章以降は被害者からの証言や犯罪の種類を細かく分類して書かれている。
日本に対して行われた裁判は勝者が敗者に対して一方的に押し付けた裁判だという声もあるが、上官の命令に背けず行った位の低い者は比較的軽い刑を受けている事からもわかるように全ての事例について極刑が言い渡されているわけではない。むしろ拷問や処刑を直接行った憲兵が多く裁かれていることがわかる。
また、処刑や拷問を指示した位の高いものが裁判にかけられていないことなど調査を重ねた上で一連裁判の問題点を指摘していて説得力がある。
位の低い者が上官の命令に背けず罪を犯したといって刑を軽くするよう申し出ていることも「被害を受けた側からすれば単なる言い訳にしか聞こえない」いうことも筆者が被害者から聞いた生の声(訴え)を反映したものである。
最終章ではBC級戦犯や第二次世界大戦のことに限らず、現在の世界の流れをみてこれから考えていかなければならない問題点を指摘している。
米国のイラク攻撃、そこでの米兵の罪は国際刑事裁判所で問われなければならないにもかかわらず無視していること等の問題点を挙げている。
ただ戦争反対を訴えるだけではなく、今までの経緯等を議論して皆で考える必要を訴えている。
憲法改正や自衛隊を軍隊にするように唱えている人々は戦前・戦中に日本軍が行った虐殺や強制労働などの行為をきちんと認識した上でそういった考えを披露してほしい。
それを知っていても憲法改正や軍隊を持つことを唱えるような人は認識が足りない。
「自分が被害者側に立ったら」と考えればわかるはずだ。
戦争がいかにいけないことかが。