同時代を生きる安心感
★★★★★
やっぱり保坂和志はいいなぁ(作家として、だから敬称なし)。何を読んでも癒される。しかも「○いだ▼つを」的に誰でも知っていることを再確認するだけの愚民化的癒しではなく(普通は癒しとはこの意味で使われているようです)、本人は否定するかもしれませんが、賢民化的癒し。「そのままでよい」というのではなく、「変わり続けてよい」という。すばらしい人だ。かつて近代の初めにいたような理想主義的な啓蒙家ではなく、現代における啓蒙家です。
小説とは何かを考えつつ、反物語、反因果関係、反主体の明確な姿勢が気持ちよすぎます。引用される古今のテクストの解釈も独特でおもしろい。志賀直哉の系譜と三島由紀夫の系譜の比較とか最高。少々迂遠なところもありますが「誰もが夏目漱石を知っているという前提はすでに通用しない」というところから始めているのですから当然です。ラストにある怒涛のアウグスティヌスからの引用ははっきりいって我田引水ではないかとも思いますが、おもしろいからよい。
面白い小説を書くだけではなく、きちんと物を考えていてその道筋を書いてくれる、こんな人が同時代にいてよかった。
生きていく力
★★★★★
保坂さんはアマゾンのブックレビューなんか書くヤツ嫌いみたいだけど、
ただいま読み終わって、書かずにはいられない。
だいぶ年を取ってしまって、毎日、毎日、生きていることが切羽詰まった
苦しさを持つこのごろなのだが、『小説の自由』を読んでいる間、
生きてることがうれしくて、まだまだ生きられる、まだまだ生きようってもんが
あるぞと心底感じられて涙が出そうだった。
いままで身につけてしまったどうでもいいあれやこれやを
<保坂>が削ぎ落としてくれるというか、
自分が長い時間かけて背負い込んでしまった常識やら
思考パターンの不自由度を見せつけられてやれやれとは思うが、
「なんてこった」、「いままで損した」とは思わない。
それにしても、
いったい<保坂>はどうやってつくられたのかな。
うれしい、<保坂>がいて、<保坂>を見つけられて!
意図的な読みにくさ??
★★★★☆
小説というものに関心がある人にとって、刺激的な内容だと思う。小説という既成の概念の中で、あれこれ意味を与えて豊かな小説にしようとする(現在のほとんどの小説はそうとのこと)行為を筆者は評価しない。小説そのものを考えること、小説の新たな可能性を追求することが、人生を考えることであり、この世を考えることそのものと繋がっている。だから筆者が哲学や宗教を小説を考える際に持ち出すことは必然なことなのだろう。
ただ、この文章は、筆者が考えを整理して伝えようとしたものではない。筆者も言い訳か、あるいは真に意図しているのか、「読みやすい文章は筆者の考えをただなぞって考えたつもりになってしまう、真に考えるためには悪文が必要」(※保坂氏の言葉そのものではないので念のため)と言う。確かに、文章のクセに収まらない明白な悪文もところどころに存在し、私も筆者の真意を測るために何度読み返したかわからず、それが唯一この書の評価を下げざるを得ないと思われるところなのだが、筆者があえてそれが必要というのもまた理解できなくもなく、それはそれでいいのかもしれないと思い直しているところ。読者にはとっても不親切だけれども、整理して伝わりやすくしたときにはすでに失われてしまっているものが多く、筆者はそれをこそ読者と共有したいと思っているので、その不親切さにもかかわらず読み進め、一緒に考えてくれる読者に向けて書いているのであろう。
文章も、構成も、まったく練られてはおらず、いわば思いつきのまま書き連ねてはいるのだが、それがまた返ってこの小説家の生(き)の思考の生まれる現場を体験するようでいて、逆に新鮮なのかもしれない。でも、ここまで文章や全体の構成に気を使わないで書いたものが商品となるのはうらやましいと思ったりも。(もともとは月刊の文芸誌に連載しているものをまとめたものだから、全体の構成というのは限界があるのだが、それにしてもまとまりはない。。)
読みにくさを覚悟の上であれば、小説及び人生とこの世界に興味を持つものにとってはこの上なく面白い本です。
引用の強度
★★★★★
この本は、自分の読んでいた、読み続けていた本に対する誤読を開陳させられ、苦しい気持ちになる時があります。テーマや物語の社会性や新しい文体でデビューした変な新人、などに狂わされた文学界からは、ほど遠い地平で思考している。それは、大変孤独な作業だとおもいますので保坂さんはちゃんとした人(作家)だと思う。カフカの引用はとても明解で、あの文章の強度をちゃんと見つめている作家はあまりいないと思う。文章の内面から滲み出てくる強度という点ではカフカの引用によって照らし出された最後の部分は恐ろしいくらいのリアリティを越えた現実として、この本の一部を強くものがたっている。
小説家と批評家
★★★★★
保坂和志の小説に対するスタンスがいっぱい聞ける一冊。
斉藤美奈子曰く、「おまえら読めてないよ」という本。批評家は物語のメタファやら意味性をつきつめて、さらに細部を分解するように読むけれど、それは全然違うんだよ、と。
これは難しい問題で、はたして、そういう読み方があっているのかどうか、私たち自身で考えなくていけない。たとえば、芥川賞って作家が選んでいるけれど、ずいぶんとんちんかんな作品ばかり選んでいる気がするし。
ただ、自分は保坂和志の考え方を否定しない。だって、いわゆる、きちんとした純文学作家はけっこうこういうスタンス(どこまでそれに自覚的かは、かなり違うと思うけれど)で作品をかいていると思う。
たとえば、村上春樹だって、「海辺のカフカ」の話の意味は自分でもわからないって言ってましたし。ま、保坂さん、村上春樹嫌ってそうだけど。
つまり、小説はほとんどまともに読まれていないんです。一般読者だって、そう。批評家だってそう。大部分の作家だってそう。書かれたものとは全然違うとらえかたをされて、それが発展し、多くの作家が埋もれているかもしれないのは、少し悲しい。
青木淳悟なんて、地元の図書館にない。