「証」の客観化への視点の欠落
★★★☆☆
訳者のバッチフラワー療法紹介の労に関しては、頭が下がり、敬意を表するものだが、プラシーボ効果以上の治癒力を発揮し得る代替医療として、この療法が普及するには、本書や、それに類する著作では正直物足りなく思う。ちなみに評者である私は、ブーム以前から洋書を読み、リメディも個人輸入して、動物に人間にと種々の実験をしてきた。
この療法はリメディの数こそ、ホメオパシーより少ないものの、その使用法に関して、さらに主観的要素が強すぎる。
東洋医学との対比で考えれば、例えば、鍼灸なら脈診や望診、湯液(漢方薬)でも望診や腹診や脈診によって下した寒熱や病期の診断=客観的基準で、まともな治療家なら取穴や処方が可能である。その上、患者との会話から精神科・心療内科的診断が加わり、匙加減も可能となる。これが「証」の決定である。翻って、バッチ療法にはこの最後のカウンセリング的対話・診察から導かれる処方決定だけしかないように思える。
東洋医学ですら主観性や再現性が問題にされ、EBMが求められる現在、ここは大きな問題点となろう。血液型性格診断という科学的に全く無根拠なものが横行する我が国では、いわばそれと同種の「本来的に多義的である言語によって表現=規定された」<性格>が処方の基準になっているバッチ療法を、うまく運用できる下地が調っているとは思えない。一工夫も二工夫も必要なはずなのである。
従って、我々に必要なのは、ある意味でホメオパシーのそれ以上に客観的で網羅的で詳細なガイドか、あるいはそれら多様で複雑、時には恣意的にすら見える使用法の根底を貫く原理を解き明かす、開かれた理論書かのいずれかであろう。「花」のエッセンス、という美しさ・優しさのイメイジだけに惑わされてはいけない。