昭和は遠くなりにけり
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山口瞳らしい、詩情とユーモア、そして街と馬と人への愛情に満ちた傑作旅行記。
改めて、この本を読み直す気になったのは、作者と同じく“昭和”“高度成長期”を象徴する存在である植木等の死の報に接したからだった。そして、地方競馬もまた、“高度成長期”に生きる庶民の娯楽だった。
再読して、ここに取上げられたうち既に失われてしまった競馬場、存亡の危機にある競馬場が幾つあるかと考えて愕然とした。
個人的な話で恐縮だが、10年以上も前、この文庫本をカバンのポケットに突っ込んで、北海道を“旅打ち”…つまり地方競馬場を巡って旅行したことがある。旭川のナイターでは、夏とは思えぬ夜の寒さに凍え、また岩見沢ではソリを曳く挽馬の巨体に目を見張った。その岩見沢のばんえい競馬は既に廃止。旭川(ホッカイドウ競馬)も存続の危機が取沙汰されている。
山口瞳氏がご存命なら、今の時代をどう語っただろうか。
言い古された言葉だが、“昭和は遠くなりにけり”…。
今は亡き山口瞳が語る、滅びゆく地方競馬へのレクイエム。
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既に四半世紀を経ようとするこの本を再び読もうと思いたったのは、「廃競馬場巡礼」(浅野靖典・著)を
読んだからだった。
山口瞳が全国の地方競馬開催に取材に訪れたのは、ミスターシービーが三冠馬になったころ。
ノミ屋、コーチ屋が跋扈し、暴力団が仕切るいかがわしい競馬場もあった。
しかし、当時から地方競馬の衰退は始まっており、このままでは立ちゆくまい、と著者は嘆いている。
配当金の控除額が25%であることも、ヤクザの賭場の寺銭が五分であることを引き合いに出して、
高すぎると意見をのべているのも興味深い。
昔の人はそういうことをご存知だったから、官僚のやることはヤクザにも劣る、と批判した。
現在のわれわれは、比較する目を持たぬから、そういうものだと思ってしまっている。
定着してしまうと、批判の声がしぼんでしまうのは、これに限った話ではないが‥。
中央競馬会も、かつては馬事振興の名目があったはず。
莫大な寺銭を地方競馬の振興に使って欲しいものだ。
地方競馬で、中央に入れなかった馬を使っているからこそ、日本のサラブレッド生産が成り立っており、
ひいては中央の馬の質を高めることになっているという理屈がなぜわからないのだろう。
農水官僚の意識は、実に低い。
それはともかく、著者が笠松を訪れた当時、現在中央競馬のスター騎手となった安藤勝巳が“おぼこい”が、
有望な新人騎手として登場する。
さらに、かつての名騎手、名馬も登場する往年のファンには実にノスタルジーをそそられる一冊だ。
新刊で読めないのはなんとも残念!
是非、復刊を望みたい。
ちなみに、当時の27競馬場のうち、現在でも競馬が行われているのは、12場に過ぎない。
競馬を知らない人にも
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競馬を知らない人にもお薦めの紀行文。地方競馬ののどかな風景と、ユーモラスな登場人物と、食べ物の話題と。旅がしたくなる一冊。
競馬を知らない人でも
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競馬を知らない人にも安心してお薦めできる、上質の紀行記。
地方競馬ののんびりとした風景と、人々の雰囲気と、美味しいものと、宿。
贅沢な旅行とは、こういうものだ。