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学問

価格: ¥1,575
カテゴリ: 単行本
ブランド: 新潮社
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学校では教えてくれない? ★★★★★
東京から静岡の田舎町に越してきた仁美。
越してきて直ぐであった少年心太(てんちゃん)学校の中心的な人物と仲良しになったことから仁美は学校というコミュニティで一目置かれるようになる・。
そしててんちゃんのほか、食べることが大好きな少年。寝ることに至福の喜びを感じる少女と4人組は成長し、思春期を迎える。
仁美は成長するにつれ、激しい性のめざめを体験するが、一番近いてんちゃんとは男女として触れあう事を避けてきた。
貧しい家庭のてんちゃんをうらやましいと思う金持ちの少年、子供の頃のおおらかな価値観が心地よい。
そして4人はそれぞれ別の道を選ぶことになるのだが、その成長の軌跡がさわやかで、各章のはじめにそれぞれの弔文が載せられていて、その後の彼らの人生に思いを馳せることもできる。
いままでこの作者を「読まず嫌い」していたのが悔やまれた。

少女の性の目覚めを赤裸々に描く。女から見た少女の性とは。 ★★★★☆
男の性の目覚めを描いた本は、数知れず。鴎外、犀星、三島から、大江に至るまであり、ゲイの人が書いたものも多いし、初体験に至るまで、ああした、こうした、という記憶は男にとって人に語らずにはいられないことのようだ。

ところが、女の場合は、というと、とんと思いつかない。というわけで、この「学問」は、面白い小説としてだけではなく、女の性の目覚めが主題であるため、社会学的、ジェンダー論的、心理学的(その他もろもろ)な視点からも興味深い。ふむふむ。そうだったのか。男が簡単に視覚的なイメージで興奮するのに対し、女は物語が必要で、そこに至る手続きがあり、実事そのものよりも、周辺的なことに興奮するのね。相撲で言えば、相撲の取り組みよりも、相撲にまつわる文化的な儀礼、様式が好きだっていうようなものか。

また、好きという感情について、主人公の仁美が、家族的で同志的な愛情と、エロスとを子供ながらに区別していることにも恐れ入った。一緒に居て心地良く、安心できるという、被支配を肯定する感情と、エロスとは別らしい。男は(例えば心太も)誰とでもやってしまうのだけれど。

人は、様々な欲望に出会い、経験し、恥をかき、学び、成長する。著者は、人間を暖かく善なものとして捉えており、読後感が心地良い。
女の子の、「そういうこと」について ★★★★★
女の子の、「そういうこと」についてこれほどきちんと書かれた小説がこれまであったでしょうか。
前のかたの、 「An instant classic(発売と同時に古典)」にまったく賛成です。
読んでいるとき、山田詠美の、これを書いたことの感性に感謝したいくらいでした。
この本が書かれたことによって、これから類似のモチーフを扱う小説が多々現れると思います。
しかしこの本が古典となることによって、
男子について、書かれたりいわれたりする時は、ほとんどが自虐的に扱われている行為、
女子についてはこれまであまり大っぴらではなかったけれども、
とても肯定感にあふれ、大げさなようですが生きている自信につながるような、
これから書かれる小説たちの、礎となるような、
そんな小説に仕上げてくれました。

これまで山田詠美はわりと遠ざけていました。
恋愛や性愛について、あまりにも美しい面からしかとらえていないように思われたからです。
しかし熱血ポンちゃんシリーズを読んだところ、何となくですが作者の生い立ち等を理解し、
美しい面から自分や周囲の人、恋愛や性愛、ひいては社会をとらえることを
作者がとてもこだわっているように感じられ、納得がいきました。
この「学問」は、それがとても良い方に作用したと思います。

とにかく私としては、この小説が書かれたこと自体が、大きな喜びになっています。
私が死んでも、この小説が残るかと思うと、嬉しいくらいです。
恥ずかしくて読めない ★★☆☆☆
エロスは文学の重要な要素で、山田さんはそれが得意な作家で、
と、わかってはいるが、年齢的にはタナトスに近い私は恥ずかしくて
(興味はあるが遠くて)読めないのである。

ならば買うなという話であるが、少しは気になるのである。以上。
あなたの、そしてわたしの物語として読む ★★★★☆
 東京から静岡へ引っ越してきた小学2年生の仁美は、そこでリーダー格で人気者の心太、食いしん坊の無量、眠るのが生き甲斐の千穂と出会い、10年に渡る友情を育んでいく。1970年代の海辺の街を舞台に、4人の生と性と死を見つめた長編小説。

 4人の子供たちは、それぞれ人間が持つ欲望の暗喩として登場しているようです。
 食欲の無量、睡眠欲の千穂、支配欲の心太、そして性欲の仁美。
 欲望という名で呼んだ途端にそれはひどく野卑な響きを伴うかもしれません。しかしこの四つの希求はあまりに原初的なもの。それを失ったが最後、人間としての存立も不確かなものとなってしまうような礎石だといって良いものでしょう。

 この小説の子どもたちは、その原初的欲望を満たすことのなんと甘美であることかに気づき始めながらも、一方でその欲望が制御し難いまでに肥大化し、自らの体を呑みこんでいくことの不気味さにも立ち至るのです。
 転落と快楽が表裏一体となったさまに、子供たちは夢見心地のまま翻弄されていくのです。

 彼らいたいけな子どもたちが、膨らみきって溢れんばかりの欲に溺れる姿を、ここまで筆を尽くして描くというのは、なんと官能的かつ頽廃的でしょうか。
 しかし、あくまでこれは暗喩としての物語。実際に小学生や高校生の性愛の物語としてだけ読むのではなく、そうした時代をはるかかなたに振り返るしかない年齢になったあなたの、そしてわたしの今の物語として読むべきものなのでしょう。
 自らの欲の暗喩としての物語。

 さすが山田詠美、と唸らざるをえない筆遣いを、ゆっくり、たっぷり味わいました。