インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

半生の記 (新潮文庫)

価格: ¥420
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
Amazon.co.jpで確認
タイトルに偽りはないが、作品と違って期待を裏切る自叙伝に仕上げたのではないか。 ★★★★☆
松本清張の自叙伝を読むことで、彼が数々の名作をどうして生みだすことができたのか、その秘訣のようなものを得られるのではないかと思い、大量買いの中の1冊に忍ばせた。

私はなぜか本書をあとがきから読んだ。
文芸から(半生記を書くことを)執筆をすすめられて連載したが、「やはり気に入らなかった。書くのではなかったと後悔した。自分の半生がいかに面白くなかったかが分った。変化がないのである。」
また、「連載中、編集部では私が小説家になったところまで書けといった。私は断った。」とある、
結局どこまで書いているかというと、小説家になる手前で終わっているのである。

とにかく小学校しか出ていないことによる差別的な待遇や苦しい生活がひたすら描かれている。

「両親の商売はますますいけなくなった。私は嫌でも、何とかしてこの職を手につけなければならなかった。残業も忙しいときは十二時近くまでやらされた。それが毎晩のように続く。」

その後、「朝日新聞社に勤めている間、私は概して退屈であった。」という。「仕事の無気力は、生活を空虚にした。大きな機構の中の片隅の職場に居ると、実力の評価は顧みられない。というよりも、存在そのものが認められないのだ。このような下積みの者は絶対に浮かび上ることはない。」

「建設的なものをもてと言っても、一体、私に何が出来るだろうか。仮に些少の才能があるとしても、それを生かす機会はない。貧乏な私は商売をする資金もなく、今さら、転職もできなかった。このまま転職を迎えるかと思うと私は真暗な気持ちなった。」

ところが、最終章の「絵具」だけが全く異なった記述となっている。朝鮮戦争中に起こった黒人兵による殺人事件や強姦事件をかなり詳しく扱っているのだ。著者は一言も「黒地の絵」という作品との関連には触れていないが、当該作品のモチーフが事実に即したものだということを、記さずにはいられなかったのであろう。
Kの曾孫です。 ★★★★★
わたしはいま、
探しております。
アイデン&ティティを。
なるほど・・・ ★★★★★
松本清張のあのテンポが良くて、ズシリズシリとくる、それでいて要点をわかりやすく伝えるあのなんともいえない文章はきっと、40すぎて作家としてデビューするまでの、今の人間(自分も含めて)では、絶対にありえない苦労、そして40年なかで考えたであろう様々な事が土台になっているんじゃないのかなぁ・・と思いました。
作家になる前の苦労と貧乏の記録 ★★★★☆
■ 【芥川賞受賞 】
著者は、44歳で芥川賞を受賞。その後3年経過した47歳
の時、朝日新聞出版局を退社して作家活動に専念。

■ 【55歳頃の半生記 】
本著書は、作家生活に入ってから凡そ10年経過した
頃、出版社の勧めで「小説家になる迄の半生を」との元
に著されたもの。作者によると、はじめから小説家志願
ではなかったし、そもそもの始まりは、生活費稼ぎの懸
賞募集の応募だと言う。(1992年82歳で没)

■ 【詳細を極める貧乏記 】
確かに、この著書で自らの半生の中身、それは作家生
活に入る前までが本当に詳しく書かれている。そしてそ
れは、天下の三大全国誌の朝日を堂々と退社し、と言う
有様ではないのである。彼は、朝日のエリートではな
い。朝日が九州進出時に、彼自らが版下職人として売り
込んで給仕として雇われたのである。故あってか、貧し
い両親のもと、小学校を卒業しただけで、そこから版下
職人として腕を磨き、結婚して3人の子供を抱え、かつ、
両親と同居し、挙句、33歳の時に稼ぎ主(町の零細事業
主)、かつ、一人っ子であるに拘わらず召集され南方派
遣の召集の赤紙を受けて、軍隊に入り韓国で敗戦を迎
えるのである。「私には、面白い青春があるわけではな
かった。濁った暗い半生だった。」と清張は白い絵本の
章で著わしている。

■ 【幸運の女神は微笑む 】
清張は、半生の記を見る限り、決して要領のいい方でも
無い。軍隊でも南方送りにならずに済んだのは、運とし
か言いようがない。敗戦を韓国南部で迎えたのも幸運だ
ろう。帰国して、朝日の社員でいながら内職のホオキの
仲介が商売と旅行という一石二鳥を彼に与え、生来の
好奇心(多分に、父親の影響か?)を掻き立てている。
誠に、若い時の苦労が、作品に花開いている。
清張の博識の源泉は?  ★★★★★
 松本清張は推理作品のみならず、古代史や政治の世界にも通じ、それらにかかわる大量の作品を著すなど、まさに学研肌の大作家であった。その無尽蔵な博識はどこから得られたものであろうか。それとも生まれながらの素質があったのであろうか。
              
 父親の人生も不遇だった。その貧しい家庭に生まれた。貧困は戦前と戦中の日本全国に及んでいとはいえ、清張は町工場での工員を転々とし、学歴が低かったがゆえに新聞社での勤務も閑職に甘んじざるを得なかった。また敗戦直後の一時期は勤務のかたわらに副業として、ほうきを売り歩くなどの苦労を重ね続けた。作家として本格的にデビューするまで貧しさから解放されなかった。
                       
 しかも、厳しい労働の合間に、いつど、こで、いかにして膨大な知識を身につけ、ひとかどならぬ博学の大作家として名を成すまでになったのであろうか。だが、本書を読んでいても少年時代から始まり年齢を重ねていく過程において、いつまでたっても作家になる様子が見えてこないのだ。なんとも不思議だ。その秘密を深く知りたくなる衝動に駆られる彼の自伝的な逸品だ。