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死顔

価格: ¥1,365
カテゴリ: 単行本
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自己の死をも最後まで凝視した吉村昭の遺作 ★★★★★
遺作となった本のタイトル「死顔」ほか4篇の短編小説集である。
私は吉村昭の「ふぉん・しいほるとの娘」を読んで以来、熱烈な吉村昭ファンとなった。
たとえ小説とはいえ、飽くまでも対象の真実に迫るべく、徹底した調査をし、小説に出てくる場所には自ら脚を運んで身をもって体験するという彼の真摯な取材態度が、彼の作品をそんじょそこらの軽い小説と一線を画しているゆえんである。
この短編小説集は、すべて「死」と関係しているが、やはり彼の死と向かい合う真摯な態度は貫かれていて、死とはなにか、最後まで凝視しようという著者の意気込みが伝わってくる。彼の母は9男1女を生んだが、次々と亡くなり、最後まで残ったのは著者と「横浜の兄」と次兄の3人のみとなった。この短編集のうち、「二人」と遺作「死顔」とはかなり、重なった部分があり、いずれも次兄の死をあつかったものである。
次兄にいた女と隠し子、その次兄の死を書いた「二人」、やはり次兄の死の前後を描いた「死顔」、いずれも死者に対する心からなる思いやりに貫かれている。
著者自身は平成17年7月31日、舌癌で亡くなっている。愛妻、津村節子が「遺作についてー後書きに代えて」で著者の最後の様子を書いている。自分自身の死をも観察の対象としてさいごまでみつめたこと、後に残されたものの雑事をおもんばかって葬儀は簡素な家族葬とすること、延命治療はしないことなど、細かい指示がしてあり、著者の真摯な態度を貫いている。
自らの死にけじめをつける ★★★★★
 吉村昭の歴史小説やドキュメント作品は、司馬遼太郎ともまた違って丁寧な調査と抑制された文章で本格派であり愛読してきたが、小説・文芸作品の類いはほとんど読む機会がなかった。ところが、彼が亡くなってしばらく後の新聞に延命治療を拒み自死であったことが報ぜられ気にかかっていたところ、偶々短編遺作集の本書に出会った。
 本書は、既に純文学雑誌に発表された短編私小説4編と未発表の歴史小説ノート1編に、夫人で作家の津村節子さんの「遺作についてー後書きに代えて」が収められている。
 小説4篇にはいずれも人の死がでてくるが、中でも、50年程前に23歳の筆者が山奥の温泉宿で結核の療養中に出会った、薄幸の女中さんの母子心中を描く「ひとすじの煙」と、筆者晩年の兄上の死とその葬儀を題材とする「死顔」(焼骨前の最期のお別れで会葬者に死顔をさらす昨今の風潮への違和感から、兄の死顔が気にかかる話)は特に印象に残った。筆者は21歳のころ結核で難しい手術(1年後の生存率30%)を受け、また終戦直後に父母を相次いで失い、8人いた兄弟姉妹が今は2人なっているようで、身近な人の死や別れについての洞察は鋭く深い。また、文章は、志賀直哉、梶井基次郎に連なる簡潔で引き締まったもので、久し振りに短編小説らしい小説を読む愉楽を得た。
 夫人の後書きでは、舌癌の宣告から手術・闘病を経て死に至る1年有余が綴られている。病院から自宅に戻り、自ら点滴の管を外しカテーテルの針を外すと、居合わせた妻娘が泣きながら受け入れる最期の様子は崇高で心打たれる。また闘病中も周りに気付かれない様に仕事をしていたこと、克明な遺書を残し死後の手順についても充分配慮していたことー香典の辞退はもちろん、葬儀は家族葬とし親族にも死顔を見せぬことーに敬服する。
 良く生き、見事なけじめをつけた吉村昭さんに、改めて冥福を祈りたい。
山茶花 ★★★★★
半自伝的作品のなかで、この「山茶花」は仙台に取材にでかけ、書き上げたという。

主人公はいわゆる地方名士でありながら、保護司をひきうける。

さまざまなものを内包している保護司という職業に綿密な取材から

命を与え、読了後読者を考え込ませる、この力量はすばらしい。

私的小説をこのまないという方、山茶花だけを読むつもりで本書を

ぜひ手にとってほしいとおもう。
吉村さんは最後にビールとコーヒーをすすり自ら旅立った。 ★★★★★
同じ頃(平成18年12月)筑摩書房から出た『回り灯籠』も人間の生と死をみつめる重厚な本だけれど、収録されている城山三郎さんとの対談が明るくおかしくて読み手は救われた。こんなに許しあって、和気あいあいの洒脱な対談をやっていた著者が(城山氏はお湯割り焼酎、吉村さんは大好きな日本酒を召し上がりながらであろう)8年後には死んでしまう。人の命のはかなさといってしまえばそのとおりなのだがその落差に慄然とする。
『死顔』に収められた「ひとすじの煙」、次兄の死を描いた「二人」は清冽な作品。ことばを削り、叙情を極力抑制した文体の美しさを読者はしみじみとあじわう事ができる。
人は自己の誕生は制御できない。しかし願わくは死への旅立ちは自らの意志で整えたいものだ。吉村さんは何ら気負うことなく自分が好んでいた逝き方をとったように思われる。傍らの奥様に、ビールとコーヒーを所望し、刻々訪れる死をみつめながら最後は「もう死ぬ」と言って自ら医療のための管や針を取り外した。娘さんは、泣きながら、お母さんもういいよね、と言った。「そう、もういいのです」読みながら私もつぶやいた。
この小説を書かなければ死ねない ★★★★★
 圧倒されました。この小説を書かなければ死ねない……そういう作者の魂魄のようなものが、ひしひしと文章から突き刺さってきました。「死」を取り扱った短編集ですが、大げさな表現、哲学的な表現は一切なく、とても平易で淡々としています。しかし、そこには、作者が人生をかけて辿りついた生き様・死に様のようなものが描かれています。
 装丁も死装束のようで、魂が冷たい感動に包まれていきました。