感情教育としての「もののあはれ」
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宝暦十三年(1763年)、賀茂真淵との「松阪の一夜」があり、歌論「石上私淑言」も書き上げたという年に書き上げた源氏物語論。子安宣邦氏の校注で、巻末の解説も氏の手になる力作だ。
最初に源氏物語成立の由縁についての解説をなしたあと、本論として源氏物語の内容とその執筆意図について、源氏物語からの文を豊富に引用し、あるいは問答形式で自説を繰り返し指し示す。その「大意の事」が上下に分かれて全180ページ弱のなかの130ページほどを占め、最後に作歌の上で源氏物語を読むことの重要さを訴えて締めくくる、という構成で、するすると読み進めていくのが心地よい文が最後まで続く。
内容についていうと、当時の源氏物語読みで目立っていた勧善懲悪的な読解に反駁を加える物言いが全体にとても多く目に付く。今、源氏物語を読もうという人で、その中に勧善懲悪を読み取ろうという人はほとんどいないと思うのだが、その意味で今につながる源氏物語読みの先駆者なのだろう。
また「もののあはれ」についてみていくと、良いも悪いもなく湧き出でる人情、悪いと思いながらも抑えようがなく、良いと知りながらなしえない、そんな人の心のいかんともしがたさを直視して、わざとらしさ・あざとさと潔癖さ・鈍感さを共に「わろし」とし、心細やかで情の深いさまを「あはれ」と感じまた「をかし」と思う感受性、源氏物語をそんな感じ方の汲めども尽きぬ源として読み解いていると見えた。だからこそ源氏物語が歌詠みのふるさとであることを、歌詠みでもある著者は力説する。
なにか、「感情教育」という言葉が頭に浮かんできた。感受性のふるさと、源氏物語を享受する「もののあはれ」のネットワークとしての共同体を日本と見る視角が窺われる。
現実の重層的な性質を上手く言ってくれていると思う議論だった。この感じ方は自然だなと思う自分も感情教育されたのだろうか。