「志のある皆さんを乗せてまだ文学の海を突き進んでいる」〜筒井の決意表明 !
★★★★☆
筒井自身を模したと思われる錣山と言う名前の革新的作風を持つ大家を中心として、前衛的雑誌「ベラス・レトラス」に寄稿する文人達の周辺の生態をメタフィクショナルな手法で描いたもの。錣山が何時の間にか乗っていた船「ベラス・レトラス」とは、時空や現実・虚構を超越して"自由と革新"を目指す人達を癒し、鼓舞する巨船らしい。
私小説批判、保守的作家批判、文学賞選考批判、血筋と才能の問題、ノベルスを中心とした作家論、エンターテインメント軽視批判、革新・前衛に固執して作品を書く事の難しさ、言葉狩り批判、著作権問題、文化的ミームの存在価値論等が、"自然な"エピソードの中で綴られる。「大いなる助走」を同時代に読んだ私の様な者にとっては、もっと過激さが欲しい気もするが、作者の成熟と言う事だろう。章変えも空白行も無しに、視点の基となる登場人物が変わったり、読点を使わずに長文を綴ったりする文体は常の如く。特に作品の虚構性の強調と言う点で前者が効果を挙げている。作中作も多く披露されるが、地の文との境目が無く、これも筒井らしい手法である。そして、「ベラス・レトラス」船に錣山の作中人物が現われるメタフィクションのシーンでは、"作中人物の実在性"と言う新しい視点を提示してくれる。若い根津の作中作「アルカイダの日日」は筒井の作風を思わせるが、根津や笹川達も錣山(=筒井)の分身なのだろう。その意味で巨船「ベラス・レトラス」は錣山達同志の意識共同体であり、雑誌の主宰者狭山の言葉を借りれば、「志のある皆さんを乗せてまだ文学の海を突き進んでいる」のだ。筒井の決意表明でもあろう。錣山が自身の作品として「48億の妄想」を解題するのも可笑しい。
実験小説であり、風刺文学であり、決意表明でもありながら、飽くまでエンターテインメントとして読者を楽しませる筒井の力量と心意気を感じさせてくれる一級品。
理解不能〜再認識
★★★☆☆
はじめて、筒井作品にふれました。
最初から、最後までしんどかった。斜め読みすると全くついて行けなくなり、
読み返すという「作業」を何度も繰り返すという失態も。
結局、私もお手軽作品しか読めなくなってしまった世代の読者なのだという
立ち位置が確認できただけでも良いのかとも思う。
これからもお手軽小説を好き嫌い無く読んでいこうと思いました。
筒井康隆を読みこなすには体力が必要
★★★★☆
久しぶりに筒井康隆の新作を読んだ。
文学状況についての筒井康隆の危機感というのは,読んでいて成程と思った。
とはいえ,門外漢にはそこまで。
現代文学についても,現代詩についても暗い私には,もう一つ共感できない内容であった。
主題が共感できないと,筒井康隆の世界を楽しむという以上のものはなかった。
死ぬまで筒井は筒井
★★★★☆
『銀齢の果て』の読後にも感じたが、
御大は意固地になって“一般的に”差別用語とされている語を
使おうとしているように思えてならない。
一応このことは指摘しておく。
……おくけれど、そのことがこの作品の価値を下げるものでは、ない。
僕は文学者ではないので、こんな卑近な表現しか出来ませんが、
ミルフィーユのごとく、もしくはラザニアのごとく、
「虚構現実」のうえに「現実虚構」を重ね、
「虚構虚構」で味付けしたら「現実現実」が出来上がった。
そういう感じの作品でしょうか。
文学界の現状に、御大はYESともNOとも言いかねているのだと思う。
だけれども「俺は俺。死ぬまでこういう作品を書いていくんだもんね〜」と
宣言しているかのような、「筒井、いまだ老いず」を証明する作品。
メタフィクションの秀作
★★★★★
30年以上筒井康隆を読んでいるが、大いなる助走からは洗練度が桁違いで、作品全体から強烈な時代批評を感じる。筒井康隆がこれまで培ってきた実力の一端を披露するだけでこれだけの作品をものしてしまうことに畏敬の念を持たざるを得ない。読後に苦しくなるほどの満腹感を感じるのが最近の筒井康隆作品であったが、今回は広く若い読者にもわかりやすく噛み砕いて書いた軽快さを感じる。