「担がれ神輿」となり、引けぬ戦いに赴いた英雄。勝てると信じてはいなかったはず。
★★★★☆
西郷隆盛。明治維新の「三傑」に数えられる英雄の1人。
それが幕末の動乱を乗り切った維新の黎明期になぜ「逆賊」の汚名の着て不遇の最後を遂げねばならなかった?
話は幕末の頃、薩摩藩主・島津斉彬が逝去したことが発端になる。
斉彬に見出された西郷は悲嘆し、自害しようとするが勤皇の僧侶・月照に説得され翻意する。
だが、幕府の安政の大獄により月照と西郷は追われる身になる。
幕府を恐れる薩摩藩は2人を切り捨てようとし、西郷だけが生き残る。西郷は南海に流罪。
雌伏の時代だった・・・・・・・。
前編は幕末一色だが、数々の維新の事件は流されるだけで、むしろ西郷の家族にスポットライトが当てられる。
この西郷の家族的な背景、幾度の死の危機を乗り越えた経験が後半の悲劇を際立たせるための「布石」となるのだ。
数々の同志の犠牲を得て「明治維新」は成る。
西郷隆盛は江戸城明け渡し・戊辰戦争を経て「参議」として維新の中枢部に参加することになる。
だが、動乱期の幕末とは異なる苦難が西郷を待ち受けていた。
武士たちを新時代の軍隊の主役に据えようと構想する西郷に対して、大久保・木戸・岩倉等の参議は
「農兵」を中心とした国民軍を創設しようとしていた。
そんな有様だったから他も押して知るべし。
政府内は「旧薩摩・長州・土佐・肥前の4藩の代表たちによる権力争いの場」と化していた。
そんな中、大久保・木戸・岩倉らが欧州諸国を視察する外遊に出発。
留守政府を預かったのは西郷と板垣・後藤といった「旧土佐藩」出身者と、江藤・大隈・副島「旧肥前藩」出身者。
土佐・肥前に自分たちの留守に勝手なことをされることを恐れる大久保たちは
「重要事案の決議は先送りするように」と言い渡す。
だが、帰国してみれば外遊前の約束は反故にされ、留守中に数々の政策が実行されていた。
そして鎖国状態を続ける朝鮮に使節団を送り、開国させようとする所謂「征韓論」が留守政府によって実行されようとしていた。
西郷は自ら使節団の団長となり朝鮮に赴こうとするが、帰国した大久保・岩倉・木戸らの策略によって閣議は覆された。
西郷・江藤・板垣・後藤・副島ら参議は辞表を提出して野に下った・・・・・。ここに「西南戦争」への一本道が開ける。
政府の失態はこの時、西郷の下野を止めなかったこと。
警察・軍人関係には西郷を慕う旧薩摩藩士が多数おり、彼らも次々と西郷を追う形で職を辞して薩摩へ向かうことになる。
それは中央から遠く離れた九州の南端の地に「政府に不満を抱くものたちが一大勢力を構成する」ことを意味する。
逆に言えば頭目である西郷を集団から離した東京に留め置けば、情勢は違ったはずだった。
内政重視とはいえ、征韓論を止めることにどれほどの意義があったのか?
朝鮮政府が西郷を殺したとは思えず、欧米列強の南下政策に対する砦として朝鮮を確保する必要性からも征韓論は認めるべきだったのでは?
帰郷した西郷は私学校を設立して血気にはやる若者たちを抑えようとする。
けれど、西郷がそう思えば思うほど周囲は西郷を政府に反抗する勢力の旗頭として慕い、政府は西郷を警戒するようになる。
西郷さん自身に政府の藩閥体制に不満があったであろうことは確かだが、彼は明治政府に表立って反抗する気など毛頭なかったはずである。
「こうとしか生きようのない人生がある」
作品のテーマソング「遙かな轍(わだち)」に歌われるように、西郷さんは望まずして「歴史の表舞台」に担ぎ出された。
西郷さんほどの人物が戦闘の勝敗を読めぬはずがない。彼は負けを承知で戻れぬ道への一歩を踏み出した。
それはかつての主君・島津斉彬が逝去した際に失った「死に場所」を求める最後の旅路となった。
西郷に先んじること数ヶ月前。同じ維新の「三傑」である長州の木戸孝允が京都にて病死する。
彼は「西郷を死に追い詰めた明治政府の体制の矛盾」に気付き、夢現の中に没する。
残る大久保もこの数ヵ月後に不平士族の手に掛かり、あえない最後を遂げる。
幕末の動乱期を切り抜けた三傑がいずれも維新10年と生きられなかったことは何を意味している?
時代は歴史を展開させる英雄がその役目を終えた際には、時に非情なまでの退場通告を迫るものなのかもしれない。
西郷さんは明治の矛盾を全て飲み込んで消えた。
西郷隆盛の虚像と真実
★★★★☆
私は日本テレビ年末時代劇SPの愛好者です。そして上野公園の西郷さんに時々会いに行っている者です。
本作品は、幕末期から西南戦争までを西郷隆盛(里見浩太郎)を中心に歴史的背景を織り込みながら、名優の方々によって実に情感豊かに演じれた「白虎隊」に続く(当時紅白歌合戦の視聴率を抜いた)幕末時代劇SPの二作品目です。
前篇は、流刑地での創作シーンは賛否が分かれるでしょうが、見どころはそれ以後の内容かと思われます。
勝海舟(故・萬屋錦之介様)との無血開城等戊辰戦争前後のシーン、そして征韓論争であり(今もなお外交問題として人によって解釈の分かれる征韓論争での描写は見事です。史実に基づいた、朝鮮使節団派遣を主張する西郷隆盛・江藤新平らとそれに反対する岩倉具視・大久保利通らの政権闘争の様相を簡潔に盛り込み映像化。)、後篇は本タイトルに代表されるように西南戦争の凄まじい戦闘シーンであります。…敵も味方も悲壮感が漂う展開!(旧会津藩家老佐川官兵衛の奮戦や乃木希典の軍旗の話等も盛り込まれていてこ歴史に造詣の深い方は胸に響く内容かもしれません。)
また「維新三傑」、大久保利通、木戸孝允、そして西郷とを互いが互いをおもんばかるシーンやそれぞれの最期も見ごたえがあるかと思われます。
本作品をとおして西郷隆盛の解釈も、いわゆる権謀術数に長けた西郷像ではなく、「敬天愛人」にのっとた純粋無垢な人間としての西郷像に多くの魅力を感じさせられました。私には後者がもしかしたら実像に近いのではないかと思わせるほどです。
美化し過ぎですが。
★★★★☆
西郷吉之助が何故人気があるのか?正直理解しかねます。陰謀の限りを尽くして徳川幕府を瓦解させた訳ですが、家康も同様に天下を治めたのでカルマが返ったと言うべきでしょうか。薩長ビイキの方なら楽しめるかと思いますが、史実とは大分異なりますので鵜呑みにしませぬようにご注意下さい。
判り易さが○。テレビドラマ化としては大成功。
★★★★★
全体的には、明治7年の導入部から始まって、幕末から明治10年の西南戦争
へ沿革の見せ方が自然で、退屈することなく、全体的に引き締まった、限られ
た時間内で見事なテレビドラマ仕立てになっていると思います。
幕末から明治にかけて艱難困苦な時代を抜群のコンビネーションで乗り切っ
た薩摩人「西郷隆盛」(里見浩太朗)、「大久保利通」(近藤正臣)の二人の
竹馬の友が、なにゆえ、明治7年の政変を機会に両者袂を別れなればならなか
ったか。いわゆる「征韓論」に関する騒ぎ、両雄対決に至ったかをよく表現し
ていると思います。
鹿児島に旅行してみました。今でも鹿児島は西郷さん一色。人気があるのは
いつも西郷さん。地元では親しみを込めて「せごどん」と呼ぶらしいです。
市の中心街・私学校跡地近くに立てられた、軍服を着た立派な銅像は、夜でも
ハッキリ見えるようにライト付きですし、城山の洞窟跡もキチンと保存されて
おりました。東京・上野公園の銅像と顔も姿も違っておりまして、興味深いで
す。城山に抜ける鉄道のトンネルの上には、西郷さんの人生訓「敬天愛人」の
標語が書いてあるのには驚きました。西郷さんの誕生地の隣には近代設備の整
った素晴らしい「歴史資料館」もありました。そしてJR鹿児島駅から少し離
れた所にある巨大で立派な西郷さんの墓。西南戦争中、転戦先でバラバラに死
んでいった幹部連中の骨を各地から一同に集め、陸軍大将・西郷隆盛を取り囲
むように整然と幹部連中の墓も並んでいました。今でも地元の英雄扱いです。
一方、大久保さんは今でも地元鹿児島には人気ないですね。政府側の人間と
して地元鹿児島を攻撃した張本人と思われているようで、人気がなく、没後
100年ぐらいして、近隣の県に促されてシブシブ大久保さんの銅像を建てたと
いう話を聞いたことがあります。甲突川の橋をわたった目立たぬところに銅像
がありました。西郷さんとは、扱い方が違います。
熊本県植木町の「田原坂」の現地も行ってみました。最も激戦地だった、官
軍も薩摩軍も多くの死者が出た「田原坂」は、現在、綺麗に整備された公園と
なっておりました。官軍側・薩摩軍ともに公平に御霊を祭られております。田
原坂公園の中には資料館があり、ドラマの中で紹介された「空中かち合い弾」
がありました。また、公園内には、ナレーションで語られた「雨は降る降る、
人馬は濡れる。越すに越されぬ田原坂。右手(めて)に血刀(ちがたな)、左
手(ゆんで)にたずな、馬上豊かな美少年」と紹介された「美少年の像」があ
りました。
火の国・熊本は非常に暑くて疲れましたが(観光地というのに、貸し自転車
屋もない。十月の中旬というのに公園内では子供が半袖姿で遊ぶ。)、高瀬、
玉名、木葉、植木とコースを歩いたこともあります。ドラマの中で紹介された
ように、西南戦争渦中に生まれた一輪の恋・宮崎八郎とおなみとの一途な恋。
宮崎八郎の立てた植木学校跡もありました。ドラマを見られたら、ぜひ田原坂
公園にも足を運んで、現地の息吹を感じられるとよいと思います。虫除けスプ
レーは必携です。
また、この当たりは霊感スポットになりますので、現地に行かれるのなら、水
晶、ヘマタイトなどの邪気よけのパワーストーン、お守りをお持ちであれば、
携帯されるのがよいと思われます。
征韓論を打ち建てて・・
★★★★☆
西郷隆盛と言えば、その時代や何処の出身かくらいはたいていの日本人は知っているかとは思います。
よく、おじいちゃんちなんかに遊びに行くと、部屋壁の上の方に額に入った写真などをみかける人がいるかも知れませんが、
この西郷さんは、特に鹿児島では“神”の領域にあたるので、同じように写真が掲げられていたりもするようです。そのくらい地元では愛されているようです。
物語は、この西郷が幕末動乱期から西南戦争で絶命するまで描かれています。
彼は、地元鹿児島で“誠忠組”なる志士組織を同郷の大久保等と運営し活躍してゆくのです。
その後、大久保利通とは“征韓論”で対立してしまいます。
征韓論、いわゆる近隣諸国を服従、属国にするのが狙いで、西郷が提案したものでした。西郷なき日本は、結局、日清・日露に突き進むのですが・・。
歴史は好きなので、このてのものは好んで観てしまうのですが、過去話とあってどこまで忠実に再現されているかは評価しがたいものが正直あります。
しかし、西郷の板挟み的苦悩や孤独な決断ほか、観る価値は十分あるので、特に現代の中間管理に就いてる人におすすめします。
最後に余談ですが、現警察組織は米国占領後、一旦再編されましたがかつての警察組織、憲兵や特効警察は、薩摩、長州あるいは土佐など新政府の方が大半を占めていました。
現警察庁には、昔の名残が抜けきれない部分が今もあるかも知れませんよ。
たとえば、先祖代々警官とか?
ではでは・・。
とっても、、、
★★★★★
早く到着、問題なし!でした。