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Nathaniel's Nutmeg: or, The True and Incredible Adventures of the Spice Trader Who Changed the Course of History

価格: ¥1,328
カテゴリ: ペーパーバック
ブランド: Penguin (Non-Classics)
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イングランド東インド会社のナサニエル・コートホープが、国王ジェームズ1世の密命を受けてバンダ諸島のルン島に上陸したのは、1616年12月だった。コートホープは、圧倒的に火力が優勢なオランダ艦船に囲まれながら、ナツメグの生い茂る小さな島を死守するのだが、1920年オランダ軍のわなに陥ちて死ぬ。これが本書の原題『Nathaniel's Nutmeg』のナサニエルである。しかし、中心人物であるはずのナサニエルは、物語のプロローグと後半にしか登場しない。なのになぜ、「ナサニエルのナツメグ」か?そのわけは、ナツメグをめぐる凄惨なドキュメントの結末を読むまでわからない。

ナツメグはいまでこそただの香辛料だが、当時のヨーロッパでは、食肉の防腐剤として、またペストや黒死病の特効薬として、黄金以上に珍重されていた。ナツメグ交易は、ルネサンス期までヴェネツィア商人に独占されていたが、16世紀初めポルトガルがインド航路を発見したことから、俄然、産地に直結しようという商人たちの動きが活発になった。大航海時代の幕開けである。17世紀前半の10年間に、イギリスが3次にわたって送り出した船は延べ12隻にのぼるが、その3隻に1隻が海の藻屑と消え、乗組員1200人のうち800人が壊血病、チフスなどの疫病で死んでいる。これだけの犠牲を払ってもなお、ヨーロッパ人たちはナツメグを諦めなかった。

まず、ポルトガルが東インド諸島のナツメグ、クローブを買い占めて巨額の富を得る。16世紀後半には、スペインがポルトガルに取って代わる。しかし、そのスペインも無敵艦隊がイギリスの「海賊」フランシス・ドレイクに破れて、東インド諸島での影響力を失っていく。そして、やってきたのが、イギリスの宿敵となるオランダだった。イギリス人とオランダ人の殺し合い、裏切り、謀略、オランダ人の原住民虐殺、拷問、奴隷狩り。疫病、飢餓、発狂しそうな孤独と恐怖、それでもナツメグを求める男たちの妄念。ナツメグ香るバンダ諸島の酸鼻な光景を、ジャイルズ・ミルトンは航海日誌、日記、東インド会社の記録をもとにして、吐き気が出るほど微細につづっている。残念ながら「(ジャワのバンダムは)東インド諸島でもっとも衛生状態のわるい町と悪評があったのは、あまり褒められたことではない」といった訳文に違和感があり、全体としてかなり読みづらい。それはそれとして、現在東南アジアと呼ばれている地域で、オランダがどのような悪行を重ねたか、手に取るようにわかる。

1654年のウィエストミンスター条約締結まで、半世紀にわたって続いた英蘭戦争は、イギリスがルン島と引き換えにオランダの植民地ニュー・アムステルダム(現ニューヨーク)を手に入れて、ようやく終った。ミルトンは、コートホープの死で「イギリスはナツメグを失ったけれど、かわりに最大のビッグ・アップルを得た(原文はthe biggest of apples)という言葉で本文を結んでいる。「ナサニエルのナツメグ」は、ルン島よりずっと高価なニューヨークのことだったのである。(伊藤延司)