カエサル、覇者へ
★★★★★
有名な「alea iacta est」のセリフと共にルビコン越えを決行したカエサルのその後を描く文庫第11弾。
この辺りは、最も映画やテレビのネタに使われる時代であって、ローマ史に関心がなくとも大筋はお馴染みの時代である。
国法をおかしてまでローマ入りしたカエサルだが、その後ポンペイウスと元老院派はローマを捨て、ギリシアを目指してしまう。
彼らのギリシア渡航を阻止できず、イタリアの半島内で決着をつけられなかったカエサルと、ポンペイウスたちの争いが始まる。
スペイン、ギリシア、北アフリカとポンペイウス派に囲まれてしまったカエサル一行は、兵の数も劣勢で、
しかもガリア人やゲルマン人、ブリタニア人相手ではなく同じローマ軍団を相手にするという状況の中、
苦労しながら行軍する。しかし、カエサルという傑出した人物のアイディアとリーダーシップ、カリスマのお陰で苦境を打破していく。
数の上では劣勢、しかも手なずけなければならない地方は広大にすぎるという中で、なぜカエサルが成功できたのか、
どういう失敗があったかが非常にわかりやすく書かれている。会戦の様子も、図つきで示され、まるで現場で見てきたかのように活写されている。
著者のカエサルへの強い思い入れが却って本書の、ローマ人のヒストリアではなくゲスタとしての面白味を強くしている。
後代に生きる私たちは、結局カエサルがどうなったか知っている。全ての結末がすでにわかっているにも関わらず、読者を夢中にさせる書き方は凄いの一言。
ハリウッドの娯楽映画のような。
★★★★☆
ユリウス・カエサルの壮年後期(ルビコン以後)を描いた上巻。
(50〜55歳まで。)
紀元前49年〜紀元前44年までの出来事。
--
ルビコンという分水嶺を渡った英雄、
ユリウス・カエサルの話。
西はスペイン、東はエジプトまで。
縦横無尽に駆け回り。
国賊からローマの実質上の元首になるまでの
戦役の話。
寡頭制を重んじる元老院に対抗するために。
ユリウス・カエサルがクーデターを起こして、
ローマの元首になるまでのお話。
--
これまでの巻の中で一番スラスラ読めた。
というのも。
カエサルが勝つことは結果として、
知っているので。
どのようにして勝つか。
というところに興味がそそられるのだけれど。
一筋縄にはいかない。
楽あれば苦あり。
そいでもって最後には少数で勝つ。
なんだかそれこそハリウッドの娯楽映画を
見ているような。
『わが将軍よ、
今日のわたしの働きぶりは、
わたしが生きようが死のうが、
あなたが感謝しなければすまないような
ものにしてみせましょう』
というカエサルの部下の台詞にしたって。
アツイ。
どこかの戦争映画に出てくる台詞みたい。
兵士が給料の値上げを求めてストを
起こした際のカエサルの台詞。
『戦友諸君、わたしは諸君から、
愛される司令官でありたいと願っている。
わたしほど諸君の安全を気にかける者も
いないし、経済的に豊かになれるよう配慮を
忘れないし、戦士としての名誉を望んでいる
者もいない。
しかし、だからといって兵士たちに、
何でも勝手を許すということにはならない。』
云々と云った後。
ぴしゃりと。
『要求の受け入れは拒否する。』
のような。
カエサルとカエサルの兵士との
やりとりも楽しい。
素直におもしろい巻でした。
薄っぺらいビジネス書を読むのなら、これを読め!!
★★★★★
カエサルの『ルビコン渡河』が、なぜ世界史を変えた第一歩だったのかが手にとるように分かる。
著者の言葉を私流に置きかえるならば、
『人間には3種類のタイプがいる。
一つは、考えてから行動する人。
二つ目は、行動してから考える人。
最後は、それを同時に出来る人。』
本書を読むと、カエサルのタイプは最後の種類なのだとよく分かる。
2,000年後の現代にもいない不世出の創造的天才。
ギリシアのペリクレス、
マケドニアのアレクサンダーよりもはるかに上を行く天才の能力がいよいよ発揮される。
そして本書ではそれを抑揚感タップリに描いている。
良い「物語」
★★★☆☆
確かにローマやカエサルについて知るには程よい事実の羅列だと思う。
だが読めば読むほど参考文献になりえないものだと思えてくる。
また本人も言っている通り、塩野七生はあくまで作家、小説家であって、文献一覧、もしくは脚注にこの作品を並べてしまうといやな顔をされるほどであって、あくまで基礎事実の理解のためだけに読むことをお勧めする。ていうか事実の羅列であって解釈というものがないために史学的な論文でなく単なる小説ととらえている人が多いので、史学で専攻しようというなら気を付けて欲しい。ただ物語・歴史小説としては秀逸だと思う。趣味で読むならいい作品。
ポンペイウスとの内乱を描く
★★★★☆
カエサルがルビコンを渡り、ローマは内乱状態に入ります。
主な原典も「ガリア戦記」から「内乱記」へ変わり、塩野氏の文章も微妙に雰囲気が変わります。その理由は塩野氏がいうとおり、カエサルがそれらを発行した目的が異なるためであり、「内戦」という性格の戦争を描く以上、読者(国民)への配慮がなされているもの、ということ。硬貨発行をプロパガンダに活用したくだりといい、カエサルは国民の心をつかむセンスが豊富にあったということなのでしょう。
それにしても印象的なのは、カエサルの戦上手なところ。ファルサルス会戦で戦力的には劣る自軍を圧倒的な勝利に導く手腕は見事です。本書の見所のひとつです。