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新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか

価格: ¥2,520
カテゴリ: 単行本
ブランド: 大修館書店
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肝心の主張の根拠が欠落しているのでは・・・ ★★☆☆☆
おおまかな聖書に関する知識をつかむ入門書としては一読の価値ありでしょう。だだ新約聖書自体が複数の文献および書簡の集合体であればこのような問い自体に問題があると言わねばなりません。つまり「ローマ書は何故ギリシャ語で・・・」とか「ルカ福音書は何故ギリシャ語で書かれたか?」と問うべきでしょう。つまり個々の文献に関し個別の検証が重要なのはいうまでもありません。その時問題となるのは「マタイ書にアラム語若しくはヘブル語の原典が存在したか否か」の一点ということは著者は十分に承知しているはずです。であれば肝心の「ヘブル語福音書つまりパピアス伝承にある『ヘブル語マタイ書』あるいはそれに類する文献が存在しなかった」ことに対する根拠ある主張がまったくないのはどうしたことでしょう。かってグッドスピードは「イエスの時代のユダヤ・エルサレムではアラム語が日常語であり、彼らには福音書のような文書を作成する能力も意欲も無かった」(EMクック『死海写本の謎を解く』)ことをイエスの死後の早い時期にヘブル語やアラム語で書かれた福音書が存在しえない、との主張の根拠としました。そしてその主張は死海文書の発見でほとんど「全面的に」と言ってよいくらいに否定されたのですが、それまでは定説のように信じられ「福音書は最初からギリシャ語で書かれた(翻訳文献ではない)」との主張の大きな根拠となっていたのです。加藤氏がそれに代わるどのような根拠を提示するか楽しみにしていたのですがが、そのようなものは全くなかったのは残念です。
あと「神殿献金する貧しい寡婦」を神殿体制への批判とするのはこじつけの限度を超えているでしょう。誰が読んでもイエスが「神に全的に頼り切った寡婦」を称賛しているのは明らかです。まして賽銭箱とあるのはそれが自発的献金であることを保証するもので、それを強制とするのではまさに「白猫は黒い」と言うようなものである。いかにユダヤ教指導者が非道だとしても寡婦に硬貨2枚ばかりの全財産をむりやり賽銭箱に入れさせるなどありえそうもないことです。もしそうだとしたらその非道な様を見ていたイエスが止めないわけがないでしょう。最初から見ていながら寡婦が賽銭を入れた後で、批判とも定かでない言い回しで搾取を批判するなどそれこそあまりにも卑怯・卑劣なイエスではないか。このような無理なこじつけは、見識ある読者に「杜撰」と批判されるもととなるだけで、著者はもちろんイエスのためにもならないでしょう。

 
あまりにも ★☆☆☆☆
加藤氏の著作は時として杜撰なものがあるのですが、その典型。
読んでも役に立ちません。
新約聖書を良く理解するために ★★★★★
新約聖書の研究のための基礎知識が得られます。
単に新約聖書を通読するだけでは、かならずしも、理解できるものではないということが本書でわかりました。
今出回っている翻訳には、かなりの問題が内包されているのですね。

翻訳による違いで際立つ事例として、平行関係にあるマタイ6・11とルカ11・3について解説しています。マタイのテキストの動詞はアオリストという形で「今日」という副詞的表現ともあわせて、ルカとはまったく異なる意味であることがわかりました。

本書の内容は大変興味深いのですが、説明は丁寧すぎて、回りくどく感じます。しかし、正文批判などの新約聖書研究の検証スタイルとしては、そういった思考形式である必要があるのではないかと思います。

内容はまあまあなんだけど。 ★★★☆☆
この人の最大の欠点は日本語の文章が下手な事。何が言いたいのか、何回読んでも理解しがたい。どうやったら、こんな悪文が書けるのだろうか、と思えてくる位。同じトロクメ教授に師事した兄弟子に当たる田川建三氏の癖は強いが日本語に対する鋭い感覚と対照的だ。
面白い ★★★★★
聖書の難解さに焦点をあてています。

”聖書はたいへん重要な本であるとされており、実際のところそうした評価に見合う内容をもった本である。全体を一読することを勧めたいと書きたいところだが、なかなか簡単に一読できるようなものではない。分からなくても、読めばよい、などと乱暴なことを言って、何か気の利いたことを言ったつもりになっている者もいるようだが、本書ではやはり、書かれたものは理解されているために書かれているという立場を取りたい。”

”書棚に聖書だけが一冊置いてある、聖書だけをいつも手にとって眺めている、こんなことだけでは聖書の理解は深まらないのである。”

”聖書を読むことは難しい。問題は内容的な難しさだけではないのである。読む側の感性や知性が鋭ければ聖書が理解できるのではない。”

聖書を理解するには、原語の問題(翻訳)、ユダヤ教の歴史、キリスト教の発達史、市民と宗教の関係、外国との戦争の歴史、ローマの歴史等、かなり様々な知識が必要だと考えています。この本を読んで、今までもやもやしていたものが晴れた印象があります。

マルコ福音書を取り合げ、イエスが、いかに当時のユダヤ教に対して、批判的であったかが記載されています。イエスは、ユダヤ教の改革者だったのです。

マルコ福音書は、最初に書かれた福音書でした。それまでは、口伝でした。使徒とされていた弟子たちが、”イエスは、こう言っていた。”と言えば、誰も逆らえなかった。これが書かれたことで、弟子の権威がかなり低下したとされています。

ほかにも、鋭い洞察に満ちた本だと思います。基本的に、聖書を理解したいという熱意が底に流れているので、クリスチャンにも、おすすめできます。