世界のリーダーの考えを正面から真摯に受け止め、自らを省みたい
★★★★☆
本書の発刊意義は、編訳者の三浦氏が巻末の解説でいみじくも記した点に集約されよう。恐縮だが一部引用させていただく。
『日本でも演説の英和対訳本がオバマ・ブームを巻き起こした。(中略)英語の教材として注目された面があり、彼のレトリックに関心が集中した。』
『政治家の言葉が軽くなっている現代の日本だからこそ(中略)多くの人に読んでもらいたい』
私も、オバマ大統領の生録演説集の類は、その数に辟易しつつも手にし、読み、聴き、それなりに感銘を受けた。だが、登場時の一種センセーショナルな熱気が失せ、世界が抱える冷徹な現実に否応なく向き直らされた今となっては、耳に心地よい言葉や表現を選ぶ暇は、もはやなくなっている。
本書後半に収められた就任後の各演説からは、大統領選前後に高らかに公約した政策を、あるいは修正しつつ、あるいは修正しきれずに困難な現実と板挟みになりながら、それでも世界のリーダーとしてなお、力強く、粘り強く、諦めずに行動したい、との意欲や姿勢が窺える。
身内の罪や恥をもみ消す、自らの保身を最優先する、選挙公約にだけは後生大事にしがみつく、など、国民の現実の苦しみとはまるでかけ離れたところで、言を左右し、今もって何らの成果を挙げることもできずにいる日本の現政権に、こうした意気込みが僅かでもあれば、と絶望しているのは、私だけだろうか。
オバマ政権を支持するしないはこの際関係ない。日本の現政権の支持不支持も問題ではない。私たちは、嫌でもこの世界で生きねばならない、生かされねばならないのだ。
“英語教材”としか考えていなかった方もあらためて、“政治家の演説”として正面から向き合い、世界の指導者が今このときに何を考えているか、日本の指導者が考え行動すべきことはいったい何なのか、を、真摯に考えるきっかけとしてみてはいかがであろう。
オバマになど期待する必要はない
★★★☆☆
オバマのプラハ演説。あれは、核廃絶の決意などではないでしょう。古くなった核兵器を捨て、使える核兵器を持ち続けること、そして、核兵器を独占し、今後も核抑止力を堅持すること
つまり、核の力で、相手国の労働者を、核の脅威に晒し続けると宣言した演説です。
オバマになど、頼らなくても、核と戦争は無くせる!労働者の戦争拒否の団結の力で!!
いや、労働者の団結だけが、戦争と核を本当に無くせる唯一の力です。
それを、理解し、実感するために、しかたがないですが、わたしはこの本を読みます。
それでもバラク・オバマに期待する!!
★★★★☆
「オバマ演説集」(三浦俊章著 2010年1月20日岩波書店刊)を読んだ。ここには「黒人のアメリカ、白人のアメリカ、ラテン系のアメリカ、アジアのアメリカなどない。あるのはアメリカ合衆国だけだ」と宣言した04年の民主党全国大会の演説から、09年12月10日のノーベル平和賞での授賞式のスピーチまで、10の演説がコンパクトに納められている。
オバマの演説は文章から目線の配りまで完璧だ。オバマを「スピーチでアメリカの大統領にまで、登り詰めた人物」と言っても差し支えないかもしれない。
確かに大統領就任演説は見事だった。またプラハ演説(09年4月5日)では、 広島 長崎への原爆投下に遺憾の意を表し、核兵器の全廃を提案すると、世界中から共感の拍手が巻きおこった。これによってオバマは、09年暮れノーベル平和賞を受賞することになった。
ところが、ノーベル賞授賞式でのスピーチでは、「正しい戦争」という言葉を使い、正当化されるべき戦争があると主張するまでになった。これは自らが、米国大統領として、アフガンに兵士を増派をして、戦争の泥沼の当事者になってしまった現実を、まさに自己正当化しているまやかしの言辞と言われても仕方のないことだ。
残念ながら、オバマに対する期待は急速に萎み始めている。アメリカの希望の星、世界平和を実現できる唯一の指導者として期待されてきたバラク・オバマは、内に理想の政治を持ちながら、現実の世界政治の重みに押しつぶされようとしているように見える。それでも私は、オバマの平和へのアプローチに希望を見出したいと思う・・・。