団塊の世代のキーワードで見る隣国経済
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実を言うと堺屋太一氏の書籍を拝読するのはこれがはじめてです。
同氏の代表著書「団塊の世代」を読むにあたって、最近発売された本書も併読させていただきました。
「団塊の世代」のキーワードや、書籍についてはWikipediaや他の方のレビューが大変充実しておりますので、私は新刊である本書に感想を述べさせていただきます。
「団塊の世代」を読み終えた直後に続けざまに読んだ本書ですが、ひとつの疑問として心の中に残っていた「団塊の世代とは日本人だけなのだろうか?」という問いに見事に答えてくれるものでした。
いわゆる戦後復興の中で激動の時代を生きた「団塊の世代」ですが、戦勝国であるか否かの差はあれど、同じ大戦疲弊の中で育った世代であり、この世代は日本だけのものではなかったのです。
そして、日本が経済大国として大きな伸びを見せるのは、戦後十数年以降であり、敗戦国でありながら世界経済の舞台で主役を担う日本の「団塊の世代」は、中国や米国の同世代に比べて安定した暮らしを送っているように見えました。
また、団塊の世代を読み解くひとつの視点として、団塊の世代の出現の前後する世代、親であったり、子である世代との関係を把握することで、はじめて「団塊の世代」というひとつの時代と人種の輪郭が、本書によって明確になったと感じました。
歴史を紐解けば、団塊の世代の親たちは、数十年にわたって大きな戦争を繰り返し、その中で行き続けた動乱の世代であり、それは一般的に強く生きて日本経済の成長を支えた「団塊の世代」と比べても、はるかに過酷で「死なないために生きた」世代であったのではないかと思えます。
成長に成長を重ねた末に、100年に一度と呼ばれる大恐慌に見舞われた今の私たちですが、ひとつ前の時代である「団塊の世代」だけに目を向けるのではなく、隣国の同世代へ視野を広げ、団塊の前を見上げてみれば、まだまだ踏ん張れるのではないかと勇気付けられる内容でした。
見事な戦後史分析
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「団塊の世代」とは、本書の堺屋太一氏の造語であるとはよく知られている。私は、日本の敗戦によって戦後、多くの兵士が帰郷し、子供を設けた、その世代程度の認識しかなかったが、実は米国の対日政策が明らかになることにより、「子供を作ることのためらいがどんどんなくなった」(本書・日本担当、浅川氏)ことによるという。歴史事情はそんなに単純なものではないようだ。さらに、「それまでとは違う先の見える時代がはじまったということの結果」なのであり、「日本の団塊は、アメリカが生み出したものだといえなくもない」と。
一方、中国では、この世代を、「老三届(ラオサンジエ)」ということもはじめて知った。1966年から1968年に中・高校を卒業した400万人を指し、大学入試制度が廃止されたため都市に残された世代であり、いわゆる紅衛兵運動の打開・収束を図るため、毛沢東が自ら彼らを農村部に送り込んだ、という。
本書は、日本と米国、中国のこれら世代を横串にして論じているが、ある国の世代のことは知っていても、三国すべての世代のことを理解している人は、案外少ないのではないだろうか。同じ時代に生きていて、国是によってこうも生き方・在りようが違ってくるのか、人生が翻弄されるのか、ということをまざまざと見せてくれている。
米国担当著者の軍隊忌避のため、指切断企図とその挫折、さらに良心的徴兵忌避の手続きや、あるいは、中国での文化大革命後、モンゴルの放牧区で土着し、土地の原住民と一体化する中国青年の事例などは、象徴的である。
日本担当・浅川氏は、「日本とアメリカ、それに中国の団塊もしくはその同世代がそれぞれの60年ほどの年月をどう生きたかを比較するという本書の意図は、当然のことながらそれぞれの社会の歩みを映すことになるだろう」といみじくも書いている。
「世代論」として「団塊の世代」もその対象になったのかという思いと、なによりその分析を通して、私たちの進むべき国家や社会・個人のグランドデザインの参考になれば、本書の面目も躍如、というものだと思う。多くの人に勧めたい。
読んでみる価値あり!
★★★★☆
友人に薦められて読みました。
読み難いかなぁ・・・と思ったのですが、結構すらすら読めました。
「団塊の世代」「団塊の世代」と日本だけ見ていた自分が小さく感じられました。
米国では「ウッドストック」の時代であり、中国では「文化大革命」の時代・・・。
この世代の人々がそれぞれの時代をどう生きてきたのか。
そして、これからの時代をどう生きていこうとしているのか。
各国の視点から時代を読むという、作りがとても面白さを感じました。
父親に薦めました。読んでいる最中です。
父親は団塊の世代より少しばかり上の世代にはなりますが、面白く読んでいるようです。
歴史書を読むように若い世代にも読んでもらいたい「団塊の世代」
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「新人類」と言われた世代の私には「団塊世代」が堺屋先生の言われる「独特の経験と集団性をもつ世代」かどうかは正直わかりません。ただ無縁だと思っていた団塊世代の活躍とともに私たちの世代は成長していたんだと本書を読み改めて思いました。
日本国内の出来事はもとより米国・中国の出来事は生前の出来事だったり幼かったのでこれまで特に関心が無かったのですが、当時の出来事を分かりやすく解説しているので、現代史を勉強するような気持ちでわくわくして読みました。
私は若い世代の人にもこの本をおすすめします。
これまで世界経済の中心であった米国、戦後すごい勢いで経済成長した日本、今まさに経済成長している中国の団塊世代(親の世代)を理解することは、これから経済を担っていく私たちの世代や若い世代には必要だと思うからです。
忘れ去られていた米国・中国の社会史を掘り起こした労作
★★★★☆
他に比べて人数の多い世代(団塊)がどのような経験をくぐってきたのか? これが本書のテーマである。
ところが日本の場合はまさしく「団塊」として、目に見える形で社会との影響関係があった。しかし米国については人種などもあり日本よりも社会構造が複雑のため、団塊の影響は見えにくい。中国については団塊世代のパワーよりも政治パワーの影響力が強いということで、比較された日米中それぞれに事情はまったく違い、3国を同時に論ずることにどれほどの意味があったのかという疑問がわく。
しかしそれらの人々が生きた米中それぞれの時代をうまくまとめたという点で、大きな意義のある本だと思われた。まず米国については今日、世界不況の元凶として金融資本主義の暴走が指摘されているが、それにいたるまでの流れが描かれている。それによると米国社会のありようも数十年前と今とでずいぶん違うようで、ついつい「企業利益最優先」の今の米国の姿が昔からそうだったと思い込んでいたことに気づかされる。今の状況になるまでにベトナム戦争がありヒッピー文化があり、レーガン登場で社会の潮目が変わり・・・ということだ。担当筆者はずいぶん民主党びいき(リベラル)で、共和党に対しては不当に低い評価にも思えるが、真実の一面をついていると思った。
中国については文化大革命のもとでの人々の暮らしが活写されていた。ある面でパール・バックの「大地」の超ミニチュア版ともいえる。似ているようで似ていない隣国の心象風景が想像できる一文であった。