モーセはエジプト人であったというフロイトの仮説は、アイデンティティの純粋性を根底から覆すものである、とサイードは説く。さらに彼は、アイデンティティはそれ自体に内在する限界を認めない限り、想定することも機能させることもできないとし、このようなアイデンティティの曖昧で微妙な意味を現実政治に具体化すれば、ユダヤ人とパレスチナ人の新しい相互理解の基盤を作りえたかもしれないし、作れるかもしれない、と提言する。しかし、ユダヤ人独占の国家に向って容赦なく驀進(ばくしん)するイスラエルの行進は、複雑で含みの多い歴史の意味をいっさい否定し去るのである。
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