代々のハチミツの儀式に込められた思い
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彼女の絵は、とても、リアル。
絵本の絵というものを超えているリアル感。
私は、出来事を言葉で記憶しているけれど、
きっとパトリシア・ポラッコは、正確に映像として
記憶していたのではないかしら・・・。
私は、絵本でさえも、絵よりも文章を追ってしまう方なのだけど、
これは、絵を追わずにいられない。
絵が語りかけてくる。
トリシャの喜びも悲しみも、まるで絵の中にそのまま
記憶として残っているように見える。
笑顔も泣き顔も、あまりに、リアルで、
特に、いじめられて泣いているところなどは、
いっしょに泣きたくなってしまう。
この絵本は、自伝的な作品です。
絵はみんなが注目するほどにうまいのに、
トリシャは、字を読むことが苦手。
彼女には、読み書き障害があったのです。
みんなと同じようになかなか読めるようにならない
トリシャをみんながからかっていじめます。
おなかがいたい、のどがいたいとずるやすみをするように
なるほど、がっこうがだいきらい。
5ねんせいなったときに、あたらしくやってきたのが
フォルカー先生。
フォルカー先生は、トリシャにあった方法で、
読み書きを教えてくれたのでした。
トリシャの家には、こんな儀式がありました。
こどもが5さいになると・・・
本を持たせて、ハチミツをたらし、
こどもがそれをなめるのです。
「どんな あじだね?」
「あまーい」
かぞくが こえを そろえて
うたうのです。
「ハチミツは あまーい。
本も あまーい。
よめば よむほど あまくなる!」
この儀式、大事な大事な象徴です。
こんなに本を大事にする家に育ったから、
トリシャは本を心からきらいにはならなかったのでしょう。
彼女は、読み書き障害を克服して、
児童絵本作家になったのでした。
大好きなことと苦手と思っていたことが
ミックスして、だからこそ、深いものが生まれたんだ
という気がします。
一つ一つ進む、そのことが尊いと思わせてくれる
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フォルカー先生のような大人は、教師に限らず、必ずこの世に存在して欲しい。子どもを見守り、育む視線が柔らかいです。
温かいことば:絶対的肯定感を!
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家族の温かいひと言が胸に響く絵本で、LD(学習障害)児だった作者自身の自伝的作品である。
小学校に上がっても字が読めないことに悩み、
「おばあちゃん、わたしって みんなとちがう?」と尋ねるトリシャに
「もちろんだよ。でも、みんなとちがうってことは、いちばんすてきじゃないか」
と応える祖母。
「わたしって あたま いい?」
「おまえは せかいじゅうで いちばん かしこくって、おりこうで、かわいらしい子に きまってるじゃないか」
おばあちゃんに抱きしめられて、むねの まんなかが ぽっとあったかくなった。−
この件を読むと、こちらの胸の中もぽっと温かくなる。
こんなすてきな言葉を家族の誰からも言ってもらえずに、
逆に、これとは反対の悲しい言葉を浴びせられて、
自分をどんどん嫌いになっていく子どもたちがどんなにたくさんいるであろうか。
子どもたちにこのような絶対的肯定感を味合わせてあげたい。
家族だけではない。
トリシャが5年生の時に出会った運命の人フォルカー先生も、トリシャにやさしさを伝えた。
「君は自分をダメな子だと思っているんだね。かわいそうに。ひとりぼっちで悩んでいたなんて……」
そして、「君は賢くて、それにとっても勇敢だ。一緒に変えてみよう。君は必ず読めるようになる。約束するよ」
信じてくれる人、待っていてくれる人の存在は人を成長させる。
そしてその受け継いだやさしさの灯は、必ず他の人へと受け継がれていくであろう。
読み聞かせにどうぞ
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子どもの小学校で、読み聞かせのボランティアをしています。
心に残る本だったので、六年生のクラスで読んでみたら、男の子が「感動して泣いてしまった」と、小さな声で独り言。作者の思いが充分に伝わる本です。子どもはもちろん大人の方にも、特に教育に携わる方に読んでいただきたい本です。
先生の気づきと努力にありがとう
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トリシャーは絵がとっても得意だけれど字を読むのが苦手な女の子。自分でも読めない事がとてもつらくて仕方がないけれど、読めないとは人には言えない・・・・だからよけいつらい。そんな時フォルカー先生がそんなトリシャーの才能と抱えている問題に気づいてくれます。特別な練習を先生と一緒に続けるうちに本がすらすら読めるようになった喜び!作者の自伝的作品であるからこそ、時に苦しみに満ちながらも温かな読後感のある一冊です。